安岡正篤(読み)やすおかまさひろ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「安岡正篤」の意味・わかりやすい解説

安岡正篤(やすおかまさひろ)
やすおかまさひろ
(1898―1983)

漢学者。大阪府生まれ。1922年(大正11)東京帝国大学政治学科卒業。在学中に独学東洋哲学を修め、陽明学者として活躍した。1924年に『日本精神の研究』を著し、大正デモクラシーに抗して伝統的日本主義を標榜(ひょうぼう)し、社会教育研究所を設立。1927年(昭和2)東洋思想研究所の金鶏学院を設立し、青少年教化のため、1931年に金鶏学院の事業として日本農士学校を創設した。翌1932年に反共団体の国維会を発足させ、戦争中は大東亜省顧問となり、のち敗戦の「玉音放送」の草稿を校訂した。1949年に全国師友協会を設立して政財官界指導者の教化を行い、戦後保守政治の思想的支柱となった。1958年憲法改正と日米安保条約賛成運動のため右翼団体連合組織の新日本協議会を設立。著書に『陽明学十講』『東洋倫理概論』など。昭和58年12月13日没。

[編集部 2016年9月16日]


安岡正篤(やすおかせいとく)
やすおかせいとく

安岡正篤

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20世紀日本人名事典 「安岡正篤」の解説

安岡 正篤
ヤスオカ マサヒロ

大正・昭和期の陽明学者



生年
明治31(1898)年2月13日

没年
昭和58(1983)年12月13日

出生地
大阪府大阪市

学歴〔年〕
東京帝国大学政治学科〔大正11年〕卒

経歴
20代前半から陽明学者として活躍し、大正デモクラシーに抗して伝統的日本主義を主張。昭和2年に金鶏学院、16年に日本農士学校を設立、東洋思想の研究と後進の育成に努めた。7年国維会に参加、戦中小磯内閣の大東亜省顧問となり、終戦時の玉音放送の原案に朱を入れた。その後、24年全国師友協会を設立、政財官界の指導者を教化。33年新日本協議会に参加、安保推進、改憲を唱える。吉田首相から中曽根首相までの歴代首相から師と仰がれ、池田勇人派閥を宏池会と名づけ、佐藤栄作施政方針演説などの草稿に当たったが、生涯政治の表舞台には登場していない。著書に「東洋倫理概論」「政治と実践哲学」「王陽明研究」「陽明学十講」など約50冊。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「安岡正篤」の意味・わかりやすい解説

安岡正篤 (やすおかまさひろ)
生没年:1898-1983(明治31-昭和58)

陽明学者,日本主義思想家。大阪生れ。1922年東京帝国大学卒業。1921年ころから参加していた社会教育研究所,その後身の大学寮で当時のデモクラシー思潮に対抗して日本主義を主張する講義を行う。25年行地社を脱退し,青少年の精神教化運動を志して,酒井忠正らの援助により金鶏学院を創立(1927)。32年日本精神による政教維新を唱えて国維会を結成,新官僚の本山と目された。戦時中,大東亜省顧問などを務め,終戦時の〈玉音放送〉の原案に朱を入れた。49年全国師友協会,58年右翼団体の連合組織新日本協議会などを創立し,岸信介,佐藤栄作を中心とする長栄会,蔣介石,三島由紀夫をはじめ,政財官界の指導者に影響を与えた。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「安岡正篤」の意味・わかりやすい解説

安岡正篤
やすおかまさひろ

[生]1898.2.13. 大阪
[没]1983.12.13. 東京
陽明学者,思想家。幼少から漢籍に親しむ。東京大学法学部在学中に大正デモクラシーに抗して日本主義を唱え,早くから政・官・軍関係者にその名を知られる。 1927年私塾・金鶏学院を設立して東洋思想の普及に努め,31年財界首脳をスポンサーに日本農士学校を創設する。第2次世界大戦中は小磯内閣の大東亜省顧問をつとめたが,終戦の詔勅の起草者の1人でもあった。 49年全国師友協会を設立,指導者の教化に力を注ぐ。多くの政・財界人,文化人が師と仰ぎ,安岡の訓話を受けることが指導者の条件とまでいわれた。吉田茂,佐藤栄作,池田勇人ら官僚出身の歴代首相の求めに応じて指南役として助言したが,みずからは生涯政治の表舞台に立つことはなかった。陽明学,東洋思想,人生論に関する多数の著書がある。

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百科事典マイペディア 「安岡正篤」の意味・わかりやすい解説

安岡正篤【やすおかまさひろ】

陽明学者,右翼思想家。大阪生れ。1922年東京帝大卒。若くして華族・富豪層に師として遇され,1927年伯爵酒井忠正の援助で金鶏学院を創立,日本主義思想による青少年の精神教化運動に取り組む。1932年日本精神に基づく国政維新を唱えて国維会を結成,斎藤・岡田両内閣に閣僚を送り込むなどした。終戦時の〈玉音放送〉の原案を添削したことは有名。1949年全国師友協会を設立,政・財・官各界に隠然たる影響力を持った。三島由紀夫も共鳴者のひとりだった。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「安岡正篤」の解説

安岡正篤 やすおか-まさひろ

1898-1983 大正-昭和時代の思想家,陽明学者。
明治31年2月13日生まれ。昭和2年金鶏学院を創立。7年同学院を母体に国維会が結成され,新官僚に影響をあたえる。終戦時の「玉音放送」原稿の添削をした。24年全国師友協会を設立,歴代首相,政財官界首脳に信奉された。昭和58年12月13日死去。85歳。大阪出身。東京帝大卒。著作に「王陽明研究」「日本精神の研究」など。

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367日誕生日大事典 「安岡正篤」の解説

安岡 正篤 (やすおか まさひろ)

生年月日:1898年2月13日
大正時代;昭和時代の思想家;陽明学者
1983年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の安岡正篤の言及

【右翼】より

…占領期の右翼は,民主主義を仮装していたが,独立後は天皇中心主義,反共反社会主義,再軍備促進,憲法改正などの独自の主張をかかげて公然と活動しはじめた。復活した右翼のなかには,安岡正篤や笹川良一らのように歴代保守政権との癒着を深めた者,ロッキード事件被告の児玉誉士夫のように腐敗行為を摘発された者,赤尾敏らのように執拗な反共街頭宣伝をくりかえす者などさまざまなタイプがみられる。右翼団体は,革新勢力の反政府運動や平和運動が高まるたびに危機感を強め,一方では60年の浅沼稲次郎社会党委員長刺殺事件のようなテロ活動に走り,他方では情勢の変化に応じてソ連(現,ロシア)脅威論にもとづく自主防衛力の強化と日米安保体制堅持,自主憲法制定,建国記念日(紀元節)復活・奉祝,靖国神社国家護持,日教組打倒と教育正常化,北方領土奪還などを呼号している。…

【行地社】より

…機関誌として月刊《日本》を発行。初め満川亀太郎,笠木良明,安岡正篤,西田税など猶存社の主要メンバーが集まったので,当時最も有力な国家主義団体とみられていた。しかし,25年の安田生命争議や宮内省怪文書事件をきっかけに国家主義者間の大川派と北一輝派との対立が表面化すると,社内でも内訌(ないこう)がおきた。…

【国維会】より

…1932年1月金鶏学院の安岡正篤が中心となり,近衛文麿,吉田茂(内務官僚),後藤文夫,酒井忠正,岡部長景,松本学,荒木貞夫らの華族・官僚・軍人を発起人として設立された〈日本精神〉による国政革新をめざす団体。満州事変後の情勢を〈我国近来の内憂外患は其の重大深刻なる殆ど有史以来未曾有〉ととらえ,その打開のため,人材の糾合と国政革新計画の樹立をめざした。…

※「安岡正篤」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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