改訂新版 世界大百科事典 「行地社」の意味・わかりやすい解説
行地社 (こうちしゃ)
大川周明の主宰した国家主義団体。1925年〈日本の精神的政治的経済的生活を純乎として純なる日本的理想に則りて根本的に改革〉することを目的として,〈維新日本の建設〉〈国民的理想の確立〉〈有色民族の解放〉〈世界の道義的統一〉など7綱領を掲げて出発した。機関誌として月刊《日本》を発行。初め満川亀太郎,笠木良明,安岡正篤,西田税など猶存社の主要メンバーが集まったので,当時最も有力な国家主義団体とみられていた。しかし,25年の安田生命争議や宮内省怪文書事件をきっかけに国家主義者間の大川派と北一輝派との対立が表面化すると,社内でも内訌(ないこう)がおきた。この結果,西田と満川は脱退して北の下に行き,安岡は金鶏学院の設立に向かい,笠木も満鉄大連本社に移ったため,社内には大川のほかには狩野敏らが残るだけとなった。講演会や出版活動を通して小学校教員や学生などへの働きかけも行われたが,活動の力点は,大川の古くからの人脈を利用して陸軍中央,とりわけ参謀本部の中堅将校への働きかけにおかれた。この結果,板垣征四郎,橋本欣五郎,花谷正らが講演や寄稿の形で参加したり,多くの青年将校が《日本》の読者となるなど,陸軍内に一定の思想的影響力をもつことができた。31年の全日本愛国者共同闘争協議会の結成に狩野が積極的な役割を果たしたりしたが,32年大川が神武会を新たに結成したのに伴い解消した。
執筆者:桂川 光正
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報