日本大百科全書(ニッポニカ) 「安政の改革」の意味・わかりやすい解説
安政の改革
あんせいのかいかく
江戸時代末、安政期(1854~1860)の幕・藩政改革をいうが、主として西南雄藩の藩政改革をさす。安政期の特徴は、(1)世界資本主義を背景にした外圧が、鎖国日本の扉を開き、日本が資本主義世界に包摂され始めたこと、(2)この外圧と内政とが絡んで幕・藩政をめぐる政争が引き起こされ、領主階級内部の対立が先鋭化したこと、(3)天保(てんぽう)の改革(1830~1840年代)の後を受けて西南雄藩がさらに改革を推し進めて台頭し、幕府対西南雄藩という体制分裂の兆しをもち始めたこと、などである。幕府はこの期に和親条約から通商条約へと開国を余儀なくされ、これと第13代将軍の継嗣(けいし)問題とが絡んで井伊(いい)大老による安政の大獄となり、幕藩体制の矛盾を一段と激化させるに至った。雄藩においては、天保の改革後の一進一退の激しい政争により人材登用が推進された。彼らは改革派として体制の再編、強化を目ざしつつも、内外の矛盾に対応した政策をとり、とくに軍政改革を優先的課題として藩内の「富国強兵」化に努めた。その結果、雄藩として中央政局に登場する基礎をつくり、とりわけ薩長土肥(さっちょうどひ)の西南雄藩でそれは顕著にみられた。この西南雄藩が文久(ぶんきゅう)期(1861~1864)以降に中央政局を左右する力は、この安政の改革によるとみてよい。
[田中 彰]