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安西四鎮 あんせいしちんAn-xi si-zhen; An-hsi ssǔ-chên

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

安西四鎮
あんせいしちん
An-xi si-zhen; An-hsi ssǔ-chên

中国,安西都護府管下の主要な兵力駐屯地であった焉耆 (えんき。カラシャフル) ,亀茲 (きじ。クチャ) ,于 闐 (うてん。ホータン) ,疏勒 (そろく。カシュガル) の4都督府をいう。いずれも新疆ウイグル自治区にあるタクラマカン砂漠周辺のオアシスに位置し,唐朝最西の防御線であった。四鎮の総兵力は天宝1 (742) 年頃で2万 5000人,軍馬 2700頭をそなえていた。安史の乱後,吐蕃 (とばん) の進出により唐の勢力範囲から失われた。

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大辞林 第三版の解説

あんせいしちん【安西四鎮】

中国、唐の西域統治機関。安西都護府の下に置かれた、亀茲きじ・于闐うてん・疏勒そろく・砕葉さいよう(または焉耆えんき)の四鎮。 → 都護府

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

安西四鎮
あんせいしちん

中国、唐の西域統治機関である安西都護府に属した四つの都督府。唐は640年に高昌(こうしょう)(トゥルファン)を滅ぼして安西都護府を置いたが、648年に西方の亀茲(きじ)(クチャ)を下すと、同都護府をここに移し、その下に亀茲、于(うてん)(ホータン)、疏勒(そろく)(カシュガル)、焉耆(えんき)(カラシャール)の四鎮を設けて軍隊を駐屯させた。安西都護府は670年吐蕃(とばん)の手に落ちたが、唐はまもなくこれを奪回し、さらに679年西部天山山脈北麓(ほくろく)、チュー川上流の砕葉(さいよう)(スイアブ、いまのトクマク付近、アク・ベシム遺跡)を占領して、これを四鎮に加え、焉耆を廃した。しかし、西突厥(とっけつ)の一部突騎施(とっきし)(トゥルギシュ)が強大となって703年ごろ砕葉を占領したので、唐はこれを放棄し、ふたたび焉耆を四鎮の一つとした。安史の乱後、吐蕃が甘粛(かんしゅく)地方を占領したが、四鎮はなお本国と連絡を保ち、790年ごろ吐蕃に滅ぼされた。[護 雅夫]

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