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宋之問 そうしもんSong Zhi-wen

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

宋之問
そうしもん
Song Zhi-wen

[生]顕慶1 (656)?
[没]先天1 (712)
中国,初唐の詩人。汾州(山西省汾陽県)の人。一説に虢川(かくせん)弘農(河南省霊宝県)の人。字は延清。上元2(675)年進士に及第。則天武后に詩才を認められたが,張易之武三思と次々にときの権力者におもねった。それでも中宗により修文館直学士に取り立てられ,側近の文学者として優遇されたが,睿宗(えいそう)が即位すると欽州(広東省)に流され,次の玄宗に自殺を命じられて死んだ。沈佺期とともに「沈宋」と並称され,特に七言律詩(→律詩)の形式の完成に力があった。

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デジタル大辞泉の解説

そう‐しもん【宋之問】

[656ころ~712]中国、初唐の詩人。汾(ふん)州(山西省)の人。字(あざな)は延清。五言律詩の型を完成。沈佺期(しんせんき)とともに「沈宋」と併称される。宮廷詩人として活躍したが、睿宗(えいそう)のとき、欽州(広東省)に流され、死を賜った。

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百科事典マイペディアの解説

宋之問【そうしもん】

中国,初唐の詩人。汾州山西省の人。字は延清。沈【せん】期(しんせんき)とともに七言律詩の定型を創始し,〈沈宋〉と並称された。〈年年歳歳花相似たり歳歳年年人同じからず〉の一連を,与えないのを恨んで,土嚢で劉庭之を圧殺させたという伝説がある。

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世界大百科事典 第2版の解説

そうしもん【宋之問 Sòng Zhī wèn】

?‐712
中国,初唐の詩人。汾州(山西省)の人。上元2年(675)の進士だが,時の権力に媚びたため世人の不評を買い,最後には誅殺された。その詩風は艶麗で,宮廷での即興の作が多い。沈約(しんやく),庾信(ゆしん)の後を受けて詩の韻律整備の面での貢献は大きく,〈沈宋〉と並称される沈佺期(しんせんき)とともに七言律詩の定型を作り出した。〈年年歳歳花相似たり,歳歳年年人同じからず〉の一連を自分に譲らぬために劉庭之を殺したという伝説は有名。

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大辞林 第三版の解説

そうしもん【宋之問】

656頃~712) 中国、初唐の詩人。字あざなは延清。則天武后に詩才を認められたが、醜行多く、しばしば左遷され、ついに睿宗に死を賜った。友人沈佺期とともに五言律詩の定型をつくり、「沈宋」と並称される。

出典|三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

宋之問
そうしもん
(656?―712?)

中国、初唐の詩人。汾州(ふんしゅう)西河(山西省汾陽県)の人。字(あざな)は延清。675年(上元2)進士に及第。則天武后に詩才を認められて尚方監丞(しょうほうかんじょう)、左奉宸内供奉(さほうしんないぐぶ)となり、沈(しんせんき)とともに宮廷詩人として活躍した。しかし、権臣の張易之(ちょうえきし)、武三思らに取り入り、一方で恩人を裏切るなど、無節操なふるまいが多かったため、心ある人々にそしられ、また二度の左遷の処置を受けた。睿宗(えいそう)の代に、権臣に取り入ったことをとがめられて欽州(きんしゅう)(広東(カントン)省欽県)に流罪となり、玄宗の即位後自殺を命ぜられて死んだ。沈期とともに「沈宋」と併称され、その詩風は六朝(りくちょう)以来の華美な風を色濃く残しているが、形式的に完全に整った律詩をつくり、律詩の韻律を集大成した功績は大きい。『宋之問集』二巻があり、『唐詩選』にその詩九首を収める。[齋藤 茂]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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