江戸初期、金森(かなもり)宗和が開いた茶道流派。堂上(どうじょう)茶の湯としてもっぱら宮中に栄える。その茶風は織部流を基本とし、これに道安(どうあん)流と遠州流とを加味しくふうしたもの。宗和は後水尾(ごみずのお)・明正(めいしょう)・後光明(ごこうみょう)・後西(ごさい)天皇や東福門院(とうふくもんいん)などに参仕し、「姫宗和」と異名をとって時めいたが、宗和の子方氏以来6代は加賀(かが)藩前田家の茶頭(さどう)を勤めて加賀(石川県)に発展した。そのほか金森氏の出身地である飛騨(ひだ)(岐阜県)にも存続しており、宗和の妹が泉州(大阪府)岸和田に嫁した関係から、岸和田にも流布、存続している。また門弟の筋から名古屋でも栄えた。宗和の茶は、片桐(かたぎり)石州が晩年大名茶と宮廷茶との橋渡しに成功する前提となるものとして茶道史上意味深い。先の「姫宗和」は、千宗旦(そうたん)の茶が「乞食(こじき)宗旦」とよばれたのに対する一種の対語であるが、宗和の茶風および好みを的確にいいえて妙である。
また優美端麗な仁清(にんせい)の焼物は仁和(にんな)寺の御室窯(おむろがま)で焼かれたが、この窯へ仁清を斡旋(あっせん)したのは宗和であり、宗和は彼のパトロン的存在であった。
[筒井紘一]
…江戸初期の茶匠。宗和流の祖。飛驒高山城主金森出雲守可重(よししげ)の長男として生まれる。…
※「宗和流」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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