宗性(読み)そうしょう

改訂新版 世界大百科事典 「宗性」の意味・わかりやすい解説

宗性 (そうしょう)
生没年:1202-92(建仁2-正応5)

鎌倉中期の東大寺学僧華厳宗の中興者。宮内大輔藤原隆兼の子。1213年(建保1)12歳で東大寺に入寺。華厳・俱舎の修学に努め,とくにみずから院主となった尊勝院を華厳教学の道場とした。大安寺別当・黒田新荘預所なども務め,60年(文応1)には東大寺別当に補任された。高僧伝記日本高僧伝要文抄》を編集,また弥勒信仰の普及者としても知られ《弥勒如来感応抄》を抄録した。弟子に凝然がいる。
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百科事典マイペディア 「宗性」の意味・わかりやすい解説

宗性【そうしょう】

鎌倉時代仏僧東大寺の学僧で,尊勝院学頭,維摩会(ゆいまえ)講師などを勤め,東大寺別当となる。著書は230種,451巻が現存し,華厳(けごん)・倶舎(くしゃ)関係のほか《日本高僧伝要文抄》を著して諸高僧の伝記を明らかにした。門下凝然(ぎょうねん),公暁(くぎょう)らがある。
→関連項目元亨釈書東大寺図書館

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朝日日本歴史人物事典 「宗性」の解説

宗性

没年弘安1.6.8(1278.6.29)
生年建仁2(1202)
鎌倉中・後期の代表的な学僧。東大寺(奈良市)華厳宗の代表者。藤原隆兼の子。建保2(1214)年に13歳で東大寺に入寺する。華厳をはじめ因明学,天台,法相などを研学。貞応1(1222)年御斎会(宮中の年中行事で1月8日から7日間,国家安寧・五穀成就を祈る儀式)に参じ,仁治2(1241)年権律師,寛元1(1243)年には権少僧都,同4年権大僧都,東大寺尊勝院院主,華厳宗貫首となった。文応1(1260)年東大寺別当にまでなった。文永6(1269)年には権僧正となる。弥勒信仰の信者でもあった。<著作>『弥勒如来感応抄』『日本高僧伝要文抄』<参考文献>平岡定海『東大寺宗性上人の研究並史料』

(松尾剛次)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「宗性」の解説

宗性 そうしょう

1202-1278 鎌倉時代の僧。
建仁(けんにん)2年生まれ。華厳宗。寛元4年東大寺尊勝院主となり,師の弁暁(べんきょう),道性(どうしょう)の跡をついで華厳教学の復興興隆につとめた。弥勒(みろく)信仰者としても名だかい。文応元年東大寺別当,文永6年権(ごんの)僧正。弘安(こうあん)元年6月8日死去。77歳。俗姓は藤原。著作に「日本高僧伝要文抄」「華厳宗枝葉抄」など。

宗性 しゅうしょう

そうしょう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「宗性」の意味・わかりやすい解説

宗性
そうしょう

[生]建仁2(1202)
[没]正応5(1292)
鎌倉時代の華厳宗の学僧。東大寺で華厳をはじめ諸宗を学び,のち東大寺別当となる。華厳,倶舎に関する多くの著書を残している。また僧伝資科を集め『日本高僧伝指示抄』『日本高僧伝要文抄』を書いた。凝然,公暁は彼の弟子。

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世界大百科事典(旧版)内の宗性の言及

【日本高僧伝要文抄】より

…東大寺尊勝院主宗性(そうしよう)が,1249年(建長1)から3年を要して先行の伝記類より抄録した日本高僧伝。縦31.2cm,幅25.4cmの大型袋綴本3冊よりなる。…

※「宗性」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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