日本大百科全書(ニッポニカ) 「宮内嘉久」の意味・わかりやすい解説
宮内嘉久
みやうちよしひさ
(1926―2009)
建築評論家、編集者。東京生まれ。1949年(昭和24)に東京大学第二工学部を卒業後、建築界の民主化を旗印に1947年に結成された新日本建築家集団(NAU)の事務局員となり、当時活動の最盛期にあったNAUの機関誌の編集に従事する。1951年に国際建築協会編集局に入り、小山正和(1892―1970)のもとで、1950年に復刊された『国際建築』(美術出版社)の編集に携わる。1954年に同協会を辞し、彰国社に一時期籍を置いた後、1956年から新建築社で『THE JAPAN ARCHITECT』(雑誌『新建築』国際版)の立ち上げを担当。1957年に編集方針をめぐる対立から、川添登ら編集部全員とともに退社し、1958年に宮内嘉久編集事務所を設立。建築を専門とする編集事務所の先がけとなる。1960年から自ら企画した『建築年鑑』(美術出版社)を世に送り出し、1964年7月号から1967年6月号の廃刊まで『国際建築』の編集を担う。
1967年に新たに建築ジャーナリズム研究所を設立。『建築年鑑』などを刊行するが、1969年に解散、個人の編集事務所としての活動を再開する。1970~1979年個人誌『廃墟から』を発行し、建築批評を展開。その独自の立場は、雑誌『新建築』に転載された「巨大建築論争の我流総括」(1976)などに明らかである。同論文は新宿三井ビルディングを批判した、神代(こうじろ)雄一郎(1922―2000)の「巨大建築に抗議する」(1974)に始まる「巨大建築論争」の総括を試みたもので、巨大スケールの建築に疑問を呈した神代の問題提起と、村松貞次郎による神代批判を中心に論争を整理し、建築批評のありかたを問題にした。
著書には1950~1960年代の評論を収めた『少数派建築論』(1974)、『廃墟から』(1976)、1970年代の評論を中心とした論集『建築・都市論異見』(1984)などがある。それらに一貫するのは、人間性を圧迫する巨大資本などに対する闘争的な姿勢で、鋭い批判精神と「近代建築」が本来あるべき姿への信頼をもち続けた。そうした「近代建築」の代名詞にあげられるのが、深い親交をもった建築家前川国男である。前川の聞き取りを収めた『一建築家の信条』(1981)、唯一の本格的な作品集である『前川国男作品集』(1990)、主要な言説を集成した『建築の前夜』(1996)の編集に尽力し、「近代建築の闘将」という前川の印象を決定づけた。
多くの建築家・評論家との交流は、1976~1986年発行の同人誌『風声(ふうせい)』(同人岩本博行(1913―1991)、大江宏、神代雄一郎、白井晟一(せいいち)、前川、武者英二(1936―2012)、宮内)、その後継誌として1987~1995年(平成7)発行の『燎(かがりび)』(同人大江、大谷幸夫、神代、永田祐三(1941― )、武者、宮内)などを生んだ。1996年から『建築ジャーナル』誌の編集顧問を務めた。
[倉方俊輔]
『『少数派建築論』(1974・井上書院)』▽『『廃墟から――反建築論』(1976・晶文社)』▽『『建築・都市論異見――ジャーナリズムの周縁から』(1984・田畑書店)』▽『『建築ジャーナリズム無頼』(1994・晶文社)』▽『前川国男著、宮内嘉久編『一建築家の信条』(1981・晶文社)』▽『前川国男著、宮内嘉久編『前川国男作品集――建築の方法』(1990・美術出版社)』▽『前川国男著、前川国男文集編集委員会編『建築の前夜――前川国男文集』(1996・而立書房)』