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富弼 ふひつFu Bi; Fu Pi

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

富弼
ふひつ
Fu Bi; Fu Pi

[生]景徳1(1004)
[没]元豊6(1083).閏6.22.
中国,北宋の政治家。河南 (河南省洛陽) の人。字は彦国。諡は文忠。仁宗の宝元2 (1039) 年西夏李元昊の反逆に対して8条の建議を行なった。慶暦2 (42) 年契丹が関南の地を要求したとき,知制誥であった彼は契丹に使いしてその要求を拒み,屈することがなかった。翌3年枢密副使となり,契丹のことにあたった。また河北宣撫使,京東路安撫使として治績をあげた。至和2 (55) 年同中書門下平章事となり,英宗のとき枢密使となった。神宗のとき,王安石新法が行われると,これに反対して辞職。

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世界大百科事典 第2版の解説

ふひつ【富弼 Fù Bì】

1004‐83
中国,北宋の政治家。字は彦国。河南省洛陽の人。范仲淹に見いだされ,そのすすめで制科(官吏登用の特別試験)に及第した。たびたび遼に使いして国境問題の交渉をまとめ,両国間の衝突を回避させた。その功によって枢密副使となり,1055年(至和2)には宰相にのぼり,穏健な政治を行って,後世,宋代名臣の一人に数えられる。王安石の新法が始まると,これに激しく反対して地方に出され,ついで退官した。【竺沙 雅章】

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

富弼
ふひつ
(1004―1083)

中国、北宋(ほくそう)の政治家。河南(河南省洛陽(らくよう))出身。若くして范仲淹(はんちゅうえん)にみいだされ、仁宗期には韓(かんき)、范仲淹、欧陽修(おうようしゅう)、文彦博(ぶんげんはく)らとともに名臣と称された。とくに外交に意を用い、当時の大問題であった東北の遼(りょう)と、西北の西夏(せいか)との対外交渉にあたった。1043年に枢密副使となり、関南の地の割譲を求めた遼に自ら赴き、歳幣(さいへい)を増額することによって危機を回避した。しばしば宰相となったが、55年には文彦博とともに政治を裁量した。地方官としての実績もあり、48年の河北の洪水のときに被災者50余万人を救済したのは有名である。しかし、神宗が即位し王安石が登用されると、王安石とあわず、強く反対して地位を落とされ辞職した。[伊原 弘]

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