関東地方の南東に突出する半島。千葉県域の大部分を占め,半島名は旧国名(安房,上総,下総)にちなむ。半島基部は東京湾奥の浦安と銚子を結ぶ下総台地の地域にあたるが,狭義には南部の房総丘陵とその海岸地域を指す。半島は南から北に向かって高度を減じ,房総丘陵,下総台地,利根川・江戸川沿岸の低地に続く。東の太平洋岸に九十九里平野が開け,西の東京湾岸には三角州が連なる。南部の房総丘陵は断層地形で起状が複雑である。東西に走る清澄山地,嶺岡山地などの地塁山地と加茂川沿いの長狭(ながさ)平野や館山平野などの地溝が数列も並び,海岸に達して断層崖や岬,島を形成し,館山湾など多数の入江をつくる。太平洋に面する東岸は岩石海岸で外房と呼ばれ,東京湾の浦賀水道に面する西岸は屈曲に富み内房と呼ばれる。海岸には漁港が並び,民宿,旅館や観光施設が集中して南房総国定公園となっている。南国性の気候の下に富浦町のビワや海岸の無霜地帯での草花の露地栽培は有名である。房総丘陵は夏の季節風による多雨地であり,県内の主要河川の水源地となり,太平洋に夷隅(いすみ)川,加茂川が,東京湾に養老川,小櫃(おびつ)川,小糸川が注ぐ。これらの上流には多くのダムが築造されて,農・工業用水を供給する〈房総の水がめ〉となっている。
下総台地は南部では標高が100m以上あるが,北に向かって徐々に高度が低下し,末端は比高20~30mの急崖となって周辺の低地に接する。南部は川に刻まれて山地状となり,森林地が多いが,北へいくほど台地原面の平たん地が残って平地林や畑地となり,まわりから樹枝状の谷津田(排水不良の湿田)が入りこんでいる。台地は関東ロームの赤土で覆われ,近世までは馬牧に使われた。明治以後から第2次大戦前まで西半は近郊農業地となり,また軍事施設が並んでいた。戦後に軍用地跡は住宅団地,工業団地,学校用地となり,都市化が著しい。とくに台地中央にあった三里塚の御料牧場跡には新東京国際空港が1978年開港されて日本の空の玄関となった。
東京湾岸は小都市と半農・半漁の村々であった。1950年代から埋立地と大型港湾が造成され,火力発電所や製鉄,造船,石油精製,化学の大工場が建設されて京葉工業地域に変貌した。巨大な工場群が立地し千葉港は日本有数の輸入額をもつようになったが,沿岸一帯は公害に悩まされるようになった。太平洋岸の九十九里平野はイワシ漁業地として栄えたが,1930年代を境に衰退して海水浴場に変わった。畑は園芸地となり,干害に悩んだ砂質の水田は第2次大戦後,国営両総用水と県営大利根用水の完成によって安定した。半島基部は北の利根川と西の江戸川により関東地方の他地域と分断されるため,古くは半島といいながら島的な交通事情にあったが,両河川に各地で橋が建設され,半島地域の開発に寄与した。
執筆者:菊地 利夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
関東地方南東部に大きく突き出た半島。東と南は太平洋、西は東京湾と浦賀水道に面し、千葉県の全域である。関東構造盆地運動の結果、南から北へ房総丘陵、下総台地(しもうさだいち)、利根川(とねがわ)と江戸川の低地と高度は低くなっていく。東京湾岸は江戸川や房総丘陵を北流する養老川、小櫃川(おびつがわ)、小糸川などの河川がつくる東京湾沿岸平野があり、一方、東側の下総台地末端には隆起海岸平野の九十九里平野が広がる。
房総丘陵はおもに第三紀三浦層群や第四紀上総(かずさ)層群からなり、東西方向の断層運動が活発で地層が複雑に入り乱れ、加茂(かも)川低地や館山(たてやま)平野は地溝、嶺岡(みねおか)山地は地塁をなす。下総台地は標高30~40メートルの広大な土地で、富士・箱根火山の噴出した火山灰からなる赤土の関東ローム層が3~6メートルの厚さで堆積(たいせき)し、水なしの地として長く放置されていた。近世、小金五牧(こがねごまき)、佐倉七牧の野馬放牧場が置かれ、明治時代以後はその開拓が奨励された。今日千葉県における野菜生産地域として機能しているが、新東京国際空港(現、成田国際空港)の建設もあって地域変化が著しい。半島の北西部、東葛(とうかつ)地域は千葉ニュータウンをはじめ住宅地、工業団地が開発され都市化が進行している。利根川低地は水郷をなし、印旛沼(いんばぬま)の干拓や水田の土地改良がなされ、千葉県の穀倉地帯となっており、早場米が生産される。東京湾岸の浦安市から富津(ふっつ)市に至る海面のほとんどは埋め立てられ京葉臨海工業地域が形成され、反面、ノリと貝の養殖場、海水浴場や潮干狩場などのレクリエーション地が消滅した。そこで千葉市稲毛(いなげ)区稲毛、花見川区幕張(まくはり)の地先海岸にそれぞれ人工海浜が造成され、市民の憩いの場が復活した。九十九里平野は干害に悩まされてきたが、大利根用水、両総(りょうそう)用水の完成によって米作は安定し、さらに施設園芸、植木、養豚などに新たな活路をみいだしている。海岸線は長大な九十九里浜や内房(うちぼう)、外房(そとぼう)の岩石海岸が続き、沖合漁業や磯根(いそね)の沿岸漁業、さらに花卉(かき)栽培が盛んで、また、海水浴場や観光施設が整備されて観光産業が活発化している。
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『菊地利夫著『房総半島』(1982・大明堂)』
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…面積=5155.98km2(全国27位)人口(1995)=579万7782人(全国6位)人口密度(1995)=1124人/km2(全国6位)市町村(1997.4)=31市44町5村県庁所在地=千葉市(人口=85万6878人)県花=ナノハナ 県木=イヌマキ 県鳥=ホオジロ関東地方南東部の房総半島を県域とし,北は茨城県,西は埼玉県と東京都に接する。
[沿革]
県域はかつての安房・上総両国全域と下総国の大部分にあたる。…
※「房総半島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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