中国、江蘇(こうそ/チヤンスー)省蘇州(そしゅう/スーチョウ)にある寺。唐の元和年間(806~820)奇僧寒山がこの地に草庵(そうあん)を結び、のちに青原行思(せいげんぎょうし)の法嗣(はっす)石頭希遷(せきとうきせん)が伽藍(がらん)を創建して寒山寺と号したと伝える。寒山は、天台山国清寺(こくせいじ)に出没し、拾得(じっとく)と並称される伝説的仏者であり詩僧で、その寒山にちなむ寺とはいえ、寺内には寒山の事跡はほとんどなく、また石頭創建の由緒も知られない。唐の詩人張継(ちょうけい)が「月落烏啼霜満天、江楓漁火対愁眠、姑蘇城外寒山寺、夜半鐘声到客船」と詠んだいわゆる「楓橋夜泊(ふうきょうやはく)」の詩によって天下に名を知られた。古くは妙利普明塔院(みょうりふみょうとういん)と称し、宋(そう)の嘉祐(かゆう)年間(1056~63)に普門禅院と改称、明(みん)代には七堂伽藍も整った名刹(めいさつ)であった。
[里道徳雄]
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…中国,唐代の隠者,詩人である寒山と拾得のこと。9世紀ごろの人。確実な伝記は不明。ただ寒山の詩の語るところでは,寒山は農家の生れだったが本を読んでばかりいて,村人にも妻にも疎まれ,家をとび出して放浪の末に天台山に隠棲した。既成の仏教界からも詩壇からもはみ出した孤高な隠者として300余首の詩を残した。拾得と豊干(ぶかん)とは,寒山伝説がふくらむ過程で付加された分身と認められる。その詩は独自の悟境と幽邃(ゆうすい)な山景とを重ね合わせた格調高い一群のほかに,現世の愚劣さや堕落した僧侶道士を痛罵した一群の作品があり,ともに強固な自己疎外者としての矜持(きようじ)を語っている。…
※「寒山寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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