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対ソ干渉戦争 たいソかんしょうせんそうForeign Intervention in Russia

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

対ソ干渉戦争
たいソかんしょうせんそう
Foreign Intervention in Russia

1917~22年,シベリア出兵と並んで,革命勃発後のロシア西部および中央部で行われた,諸外国によるさまざまな軍事干渉。ドイツは 18年3月の対ソ単独講和後もウクライナの反革命派の支援を継続。他方連合国は,7月にロシア軍の武器が敵側に渡るのを防ぐという名目で,北ロシアのムルマンスク,アルハンゲリスクに軍隊を上陸させ,10月にはオデッサを含む南ロシアにも派兵,ロシア周辺の封鎖を宣言した。諸外国から直接,間接に支援された白衛軍の将軍や提督たち (シベリアからボルガ地方にかけての A.V.コルチャク,ドン川地方の A.I.デニーキン,L.G.コルニーロフ,バルト地方の N.N.ユデニチ) は勢力を拡張し,ソビエト政権は一時ごく狭い地帯に追いつめられた。しかし農民がソビエト政権と赤軍を支持したため,白衛軍は 19年秋には各地で敗退,また連合国も内部的な不和や,干渉政策に対する自国での不人気が重なって撤兵を余儀なくされ,20年1月に封鎖を解除した。なおも干渉を続けたのは新興国ポーランドで,白衛軍の P.N.ウランゲリと呼応してウクライナを攻撃し,20年5月にはキエフを占領。その後ポーランドは一時ワルシャワ近くまで後退したが,フランスの支持を得て立直り,ベラルーシ人,ウクライナ人地域を大きく取込み,10月のリガ条約によりようやく講和に到達した。日本のシベリア撤兵により全体としての干渉戦争は 22年 10月終結した。

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百科事典マイペディアの解説

対ソ干渉戦争【たいソかんしょうせんそう】

第1次大戦末期,ブレスト・リトフスク条約によって戦線離脱をしたソ連に対し,連合国が社会主義政権打倒をめざして始めた戦い。1918年春から英仏を中心とし日本も積極的に参加(シベリア出兵)。とくに1918年5月のチェコスロバキア軍団の反乱はボルガ流域から極東にいたる広範囲に反革命政権を生み,また日本や米国はチェコ軍団救援を介入の口実とした。この結果ソ連国内での革命軍とコルニーロフデニキンコルチャークらの率いる反革命軍との内戦も本格化した。大規模な軍事的干渉は一時的だったが,1920年まで連合国の反革命軍への支援は続いた。→戦時共産主義
→関連項目十月革命シュテファーニクソビエト連邦ロシアロシア革命

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世界大百科事典 第2版の解説

たいソかんしょうせんそう【対ソ干渉戦争】

1917年の十月革命によってロシアに成立したソビエト政権と,それに反対する反ソビエト派諸勢力との間で闘われた内戦と一体となった,外国軍によるソビエト政権に対する軍事干渉戦争(1918‐20)。 十月革命において,ロシア中央部におけるソビエト権力の樹立は,首都ペトログラード(現,サンクト・ペテルブルグ)やモスクワでの一時的な武力衝突を除いて,ほぼ平和裏に行われた。これに反し,旧ロシア帝国周辺や諸民族地域でのソビエト政権樹立は激しい武力衝突をともなった。

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大辞林 第三版の解説

たいソかんしょうせんそう【対ソ干渉戦争】

ロシア革命後の1918~22年、ソビエト政権と、反革命勢力および革命に干渉するため出兵したイギリス・フランス・アメリカ・日本などとの間の戦争。 → シベリア出兵

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