封禁(読み)ふうきん(英語表記)fēng jīn

改訂新版 世界大百科事典 「封禁」の意味・わかりやすい解説

封禁 (ふうきん)
fēng jīn

中国で,特定の土地に人民が入り込み,その土地を開墾,耕作することを禁止すること。古くからの反乱発生地域や,少数民族居住地との境界となっている山地水害のおそれのある水路墓陵の地などが封禁とされた。しかし史上に最も有名なのは,清朝漢人満州地域への移住に対して施行した封禁令である。清朝はこの地域すなわち瀋陽・吉林・黒竜江三省地方は満州族発祥の地というのでその旗地の経営には大きな関心をはらった。ところで清朝が中国に入り北京に都を定めると,旗人の大部分が中国内地に移り,満州の人口は激減して耕地は荒廃した。そこで清朝は旗人の帰郷をうながすとともに,漢人の移住をも奨励した。その結果この地方の耕地はいちじるしく増大したが,漢人人口の増加は一方で満州人の生活を圧迫することにもなったので,1740年(乾隆5)には一転して満州を封禁し,漢人の移住を禁止するとともに,またすでに入植していた漢人にも帰郷を命じた。しかしこの禁令は一時的効果しかもたず,19世紀に入ると有名無実化し,やがて漢人の移民は自由となった。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「封禁」の意味・わかりやすい解説

封禁
ふうきん
feng-jin; fêng-chin

中国で特定の地域への立入りを禁止したこと。中国の各王朝は,治安維持のため,風水害のおそれのある地域,少数民族と漢人とが隣接する山峡墓地などへ民衆が立入ることを法的に禁じた。特に山峡地域では禁山とも呼ばれ,とかく反乱の温床ともなった。明代の鄧茂七 (とうしち) ,葉宗留,荊襄の反乱などは,いずれも禁山地域を舞台として起った。清代には発祥の地である満州への中国人の移住を厳禁したが,中期以後,封禁令は守られなくなった。

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普及版 字通 「封禁」の読み・字形・画数・意味

【封禁】ふうきん

禁止。

字通「封」の項目を見る

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世界大百科事典(旧版)内の封禁の言及

【吉林[省]】より

…明代には少数の漢族,朝鮮族の移住も見られ,農業に従事したが,その影響は少なかった。明末以後満州族の南下,清王朝の成立の結果,満州族は大量に南遷し,また祖宗の地には漢族を流入させないよう封禁(ふうきん)政策をとったため,農地は荒廃した。特に長白山地地域は,ニンジン採取と狩猟場とされ,また東豊,海竜,輝南,盤石一帯は清の囲場とされたし,松花江沿岸の法特から長春の南,開原県北東を経て山海関に至る〈柳条辺牆〉の西方がモンゴル族の牧地とされ,東に越えることは許されなかった。…

※「封禁」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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