専立寺(読み)せんりゆうじ

日本歴史地名大系 「専立寺」の解説

専立寺
せんりゆうじ

[現在地名]大和高田市内本町

高田たかだ(現県道)左岸、南北に通ずる本町通のほぼ中央西側に位置する。山号は如意山。浄土真宗本願寺派本尊阿弥陀如来像。高田御坊と称され、大和五ヶ所御坊の一。寺蔵の田崎家系図などによると、脇屋義助四世の孫田崎義方が越前三国みくに(現福井県三国町)で出家して浄心と称し、本願寺八世蓮如が同国吉崎よしさき(現同県金崎町)下向のとき帰依して門徒となり、専立寺を開いた。

専立寺
せんりゆうじ

[現在地名]下関市彦島本村町五丁目

ひこ島の中央やや北寄りに位置し、浄土真宗本願寺派。海音山と号し、本尊は阿弥陀如来。

寺伝によれば、寿永元年(一一八二)平家の一族和田四郎常保、法名常保が開基とされる。壇之浦だんのうらの敗戦後遁世していたが発心剃髪、彦島に来て一宇建立し、安楽あんらく寺と称したのに始まるという。

専立寺
せんりゆうじ

[現在地名]大淀町大字増口小字大谷峯

増口ましぐち集落の中央に位置。浄土真宗本願寺派。本尊阿弥陀如来。大谷山と号し、古来増口村惣道場であった。本願寺八世蓮如による飯貝いいがい本善ほんぜん(現奈良県吉野町)創建の頃、直弟浄円坊の開基と伝える。明治の「寺院明細帳」によれば、本尊は寛永一九年(一六四二)一一月四日本山より下付されたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の専立寺の言及

【大和高田[市]】より

…高田は大坂方面よりの長谷詣の街道筋に当たり,中世には摂関家領平田荘の荘官当麻(たいま)(高田)氏が高田城に拠り,また万歳城に拠る万歳氏がいて,抗争を繰り返した。近世には西本願寺掛所の専立(せんりゆう)寺(高田御坊)の門前を中心に寺内町が形成された。現在は,近鉄南大阪・大阪両線とJR和歌山・桜井両線が通じ,大阪への通勤圏に含まれてベッドタウン化が進み,市街地は南部や西部に拡大している。…

※「専立寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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