デジタル大辞泉 「尉遅乙僧」の意味・読み・例文・類語 うっち‐おっそう【尉遅乙僧】 中国唐代初期の画家。西域の于闐うてん国の人。西域風の人物・花鳥・仏画を得意とし、長安・洛陽の寺院に壁画を描いた。生没年未詳。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例 Sponserd by
改訂新版 世界大百科事典 「尉遅乙僧」の意味・わかりやすい解説 尉遅乙僧 (うっちいっそう)Wèi chí Yǐ sēng 中国,唐代の画家。生没年不詳。680年ころから710年ころにかけて活躍し,当時中国に流行した西域風を画壇において代表する。《歴代名画記》や《唐朝名画録》にいう唐初太宗に仕えたとする記事は誤りであろう。于闐(うてん)国または吐火羅(とから)国の生れで父の尉遅跋質那も隋に仕えた画家。首都長安,洛陽の寺院・道観の壁に仏像,西域人の肖像,花鳥を描き,〈鉄線を曲げ糸のわだかまるよう〉といわれる均一な太さの線と強烈な色彩や独特の陰影法による立体表現に秀で〈絶妙〉と評された。執筆者:古原 宏伸 出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報 Sponserd by
日本大百科全書(ニッポニカ) 「尉遅乙僧」の意味・わかりやすい解説 尉遅乙僧うっちおっそう 生没年不詳。中国、初唐(7世紀初期)の画家。隋(ずい)の画家尉遅跋質那(ばつしつな)の子で、小尉遅とよばれた。西域のコータン(ホータン)の出身で、西域の風俗や仏、菩薩(ぼさつ)像、花鳥などを描いて名声を博した。長安や洛陽(らくよう)の有名な仏寺の壁画を手がけているが、長安光宅寺の普賢(ふげん)堂に描いた降魔成道(ごうまじょうどう)図の魔女は、その身体が壁の中から脱け出ているように見えたという話が伝わっている。鉄線を曲げたような弾力性のある強い筆致で、彩色や陰影にも独特のくふうがあり、よく物の凹凸(立体感)を表現したという。[吉村 怜] 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「尉遅乙僧」の意味・わかりやすい解説 尉遅乙僧うっちおっそうYu-chi Yi-seng 中国,初唐の画家。西域のホータン (新疆ウイグル自治区,于 闐) 出身の隋の画家,尉遅跋質那 (うっちばつしつな) の子。父を大尉遅,乙僧を小尉遅という。兄甲僧も画家。中国の伝統的描線とはやや性格が異なり,「屈鉄盤糸」と呼ばれる細く強い筆線と,色調の明暗濃淡で事物の立体感,遠近感を表現する描法を特色とした。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by
百科事典マイペディア 「尉遅乙僧」の意味・わかりやすい解説 尉遅乙僧【うっちいっそう】 中国,唐代の画家。生没年不詳。隋の画家尉遅跋質那(大尉遅)の子といわれる。ホータンの人で,唐の前半期に流行した西域風を代表する画家。弾力性のある鉄線描と隈取(くまどり)を用いた立体感の表現を特色とし,仏画や西方の人物,花鳥を描いて高く評価された。 出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報 Sponserd by