尊永寺(読み)そんえいじ

日本歴史地名大系 「尊永寺」の解説

尊永寺
そんえいじ

[現在地名]袋井市豊沢

法多沢はつたざわ川の上流、小笠おがさ山西麓から延びる段丘上に所在する高野山真言宗の寺院。山号は法多山、本尊は聖観音。法多寺とも。通称は法多山はつたさん厄除け観音として信仰を集めている。寺伝によれば聖武天皇の勅願によって行基が開創したと伝える。白河・後白河両天皇に崇敬され、多くの仏道具を寄進された。紀州高野山釈迦文しやかもん院の末寺で、遠州の高野山と号したという(元和七年「法野新田開発に付訴状」尊永寺文書など)。現福井県小浜おばま市中村区所蔵の大般若経巻五八〇の奥書に承元三年(一二〇九)六月二八日、「於遠江国法多寺東谷書写了」とあり、当山で大般若経が書写されていた。また同経巻二九七は、奥書によれば康安元年(一三六一)八月一八日「法多山住天台沙門海」によって書写されていた。文明四年(一四七二)八月二七日、奈良にきていた「遠江国法多山之尊永寺僧」が、三千仏絵三幅の作製を奈良興福寺大乗だいじよう吐田はんだ給所に注文していたが、遅いため二幅はほかに依頼して入手し、残る一幅について催促してくれるよう大乗院尋尊に依頼。これを受け尋尊は同月三〇日、吐田給所に三千仏絵を督促している(大乗院寺社雑事記)

今川氏は氏親(一五二八年没)が「法多寺」に寺家棟別ならびに門前などを寄進しているのをはじめ(年未詳一一月一六日「今川氏親書状」尊永寺文書、以下同文書)、天文二年(一五三三)二月五日氏輝が(今川氏輝判物)、同五年一〇月八日義元が同様に門前棟別寺領などを安堵している(今川義元判物)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「尊永寺」の意味・わかりやすい解説

尊永寺
そんえいじ

静岡県袋井市豊沢にある寺。高野山真言(こうやさんしんごん)宗の別格本山。山号の法多山(はったさん)で親しまれている。本尊の正観音(しょうかんのん)は古来、厄除(やくよ)け観音として広く信仰される。725年(神亀2)聖武(しょうむ)天皇の勅命を受けた行基(ぎょうき)が自刻の観音像を安置したのが始まりと伝え、その霊験が京都に聞こえ白河(しらかわ)・後白河(ごしらかわ)天皇の尊信を得、勅願道場として定額寺(じょうがくじ)の列に遇せられた。永禄(えいろく)年間(1558~70)武田勢の兵火にかかり一山烏有(うゆう)に帰したが、豊臣(とよとみ)秀吉、徳川家康の寄進により復旧。中世以来、寺は12院で構成されていたが、なかでも一乗院がその中心であった。しかし明治の初め朱印地の返還により縮小され、子院は旧学頭正法院のみ残して廃止、一山の総号として尊永寺と改称した。1983年(昭和58)秋に伽藍(がらん)諸堂を新築竣工(しゅんこう)、境内の景観を一新した。仁王門は1640年(寛永17)の再建で、密教法具の金銅五種鈴とともに国重要文化財に指定されている。1月7日に五穀豊饒(ほうじょう)祈願として奉納される田遊(たあそび)祭田楽(でんがく)は県の無形民俗文化財

[野村全宏]


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デジタル大辞泉プラス 「尊永寺」の解説

尊永寺

静岡県袋井市にある寺院。高野山真言宗別格本山。山号は法多山(はったさん)。本尊は正観世音菩薩。725年、行基が観音像を安置したのが寺の起源と伝わる。仁王門は国の重要文化財に指定。江戸時代に徳川家により「くし団子」と命名された厄除団子が名物。

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世界大百科事典(旧版)内の尊永寺の言及

【遠江国】より

…その一端は今川氏や,とくに徳川氏の天正年間(1573‐92)の浜松宿中にあてた伝馬手形,池田や馬籠などの渡船場保護の定書,駿府~岡崎間の宿中に下した伝馬朱印状などからうかがうことができる。 宗教的には,遠江では鴨江寺,尊永寺,西楽寺など,元来は真言宗の影響が強かった。しかし中世後期には,禅宗それも曹洞宗が大いに発展し,如仲天誾(じよちゆうてんぎん)の開いた森の大洞院や華蔵義曇の開いた引間の随縁精舎(普済寺の前身)などが教線拡大の一大拠点となった。…

※「尊永寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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