日本歴史地名大系 「尊永寺」の解説
尊永寺
そんえいじ
今川氏は氏親(一五二八年没)が「法多寺」に寺家棟別ならびに門前などを寄進しているのをはじめ(年未詳一一月一六日「今川氏親書状」尊永寺文書、以下同文書)、天文二年(一五三三)二月五日氏輝が(今川氏輝判物)、同五年一〇月八日義元が同様に門前棟別寺領などを安堵している(今川義元判物)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
今川氏は氏親(一五二八年没)が「法多寺」に寺家棟別ならびに門前などを寄進しているのをはじめ(年未詳一一月一六日「今川氏親書状」尊永寺文書、以下同文書)、天文二年(一五三三)二月五日氏輝が(今川氏輝判物)、同五年一〇月八日義元が同様に門前棟別寺領などを安堵している(今川義元判物)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
静岡県袋井市豊沢にある寺。高野山真言(こうやさんしんごん)宗の別格本山。山号の法多山(はったさん)で親しまれている。本尊の正観音(しょうかんのん)は古来、厄除(やくよ)け観音として広く信仰される。725年(神亀2)聖武(しょうむ)天皇の勅命を受けた行基(ぎょうき)が自刻の観音像を安置したのが始まりと伝え、その霊験が京都に聞こえ白河(しらかわ)・後白河(ごしらかわ)天皇の尊信を得、勅願道場として定額寺(じょうがくじ)の列に遇せられた。永禄(えいろく)年間(1558~70)武田勢の兵火にかかり一山烏有(うゆう)に帰したが、豊臣(とよとみ)秀吉、徳川家康の寄進により復旧。中世以来、寺は12院で構成されていたが、なかでも一乗院がその中心であった。しかし明治の初め朱印地の返還により縮小され、子院は旧学頭正法院のみ残して廃止、一山の総号として尊永寺と改称した。1983年(昭和58)秋に伽藍(がらん)諸堂を新築竣工(しゅんこう)、境内の景観を一新した。仁王門は1640年(寛永17)の再建で、密教法具の金銅五種鈴とともに国重要文化財に指定されている。1月7日に五穀豊饒(ほうじょう)祈願として奉納される田遊(たあそび)祭田楽(でんがく)は県の無形民俗文化財。
[野村全宏]
…その一端は今川氏や,とくに徳川氏の天正年間(1573‐92)の浜松宿中にあてた伝馬手形,池田や馬籠などの渡船場保護の定書,駿府~岡崎間の宿中に下した伝馬朱印状などからうかがうことができる。 宗教的には,遠江では鴨江寺,尊永寺,西楽寺など,元来は真言宗の影響が強かった。しかし中世後期には,禅宗それも曹洞宗が大いに発展し,如仲天誾(じよちゆうてんぎん)の開いた森の大洞院や華蔵義曇の開いた引間の随縁精舎(普済寺の前身)などが教線拡大の一大拠点となった。…
※「尊永寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新