日本大百科全書(ニッポニカ) 「小島藩」の意味・わかりやすい解説
小島藩
おじまはん
駿河(するが)国庵原(いはら)郡小島村(現在の静岡市清水(しみず)区小島本町)に陣屋を置く譜代(ふだい)藩。1万石。藩主は松平(滝脇)氏。旗本松平重信(しげのぶ)(高槻(たかつき)藩主松平家信の二男)の後を継いだ信孝(のぶなり)(高槻藩主松平典信(のりのぶ)の弟)は、御小姓番頭(おこしょうばんがしら)、書院番頭を経て将軍徳川綱吉(つなよし)の側近となり、1689年(元禄2)若年寄に進み大名に取り立てられた。1698年上野(こうずけ)・武蔵(むさし)両国の領地を駿河国に移され、駿府(すんぷ)(静岡県)で立藩、阿部入(あべのや)(安倍谷)藩といわれた。1704年(宝永1)信治のとき陣屋を小島に移し、以来小島藩といい、1868年(明治1)の静岡(駿府)藩の成立により上総(かずさ)(千葉県)桜井に転封されるまで続く。
小藩であったから財政運営には特色があり、年貢収奪強化の目的で実施した「生籾(なまもみ)五分摺(ず)り法」は領内全藩一揆(いっき)によってあえなく失敗、また財政赤字を少なくする目的で百姓を登用した譜代足軽(あしがる)制(郷足軽)や足軽仲間(ちゅうげん)制の採用は、身分制を否定するものである。また黄表紙(きびょうし)作家恋川春町(こいかわはるまち)(倉橋格(くらはしかく))は小島藩江戸詰の家臣で、乏しい扶持米(ふちまい)を余業で補ったという。小藩家臣団の見逃すことのできない一つの態様である。
[若林淳之]
『『清水市史』全2巻(1976、77・吉川弘文館)』▽『『清水市史 資料』全6巻(1966~68・吉川弘文館)』