小松寺跡(読み)こまつでらあと

日本歴史地名大系 「小松寺跡」の解説

小松寺跡
こまつでらあと

[現在地名]交野市星田

妙見みようけん川の谷をさかのぼった星田ほしだ山中四條畷しじようなわて市の田原たわら逢阪おうさかとの境近くにあったと伝え、寺跡所在地といわれる標高二六〇メートル程度の緩やかな傾斜面には、かつては坊跡の平坦地がみられたという。昭和四〇年(一九六五)寺地一帯はゴルフ場造営のために削平され、緊急調査が実施された。その結果、寺域は数百メートルに及ぶと推定され、その一部を発掘し瓦片・五輪塔などが発見されたが、全貌が明らかにされるには至らなかった。

当寺に関しては応永二六年(一四一九)聖順が書写した「河内国小松寺縁起(江戸時代には東寺観智院蔵)がある。これによれば当寺は和銅五年(七一二)田原郷の子供三人が草堂を作り、青石を本尊とし、同郷の僧円舜が供養したのに始まるという。再興荒廃を繰返し、承和一四年(八四七)河内国高安たかやす(現八尾市)の清原行光が願主となり、天台僧道智の勧進で草堂を建立、本尊観音像は大和長谷はせ寺観音の自作という。


小松寺跡
こまつじあと

[現在地名]田尻町小松

北小松の字寺浦てらうらの丘陵地にあった。明治初年廃寺となり、現在は再建された薬師堂面影をとどめるのみ。「観蹟聞老志」によると寺の前に沼があり、島も浮び絶景を呈したという。また当地は、小松の出島・小松の岬とも称されたという(「小松寺縁起」鈴木健造家文書)。「小松村安永風土記」によれば、本尊木造千手観音坐像(高さ三尺三寸)新田につた柵の付属寺院で、当地にあったとされる式内社子松こまつ神社の別当寺であったとする説があるが不詳。「日本往生極楽記」に「陸奥国新田郡小松寺」とみえ、小松寺の僧玄海なるものが、法華経・大仏頂真言を読誦した功徳により、夢で西方の極楽に飛んだ話が記されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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