日本歴史地名大系 「小椋庄」の解説
小椋庄
おぐらのしよう
愛東町
小椋庄
おぐらのしよう
現柏原町南東部に所在した庄園。
貞和二年(一三四六)久下仙阿と南条高光が地頭職をめぐって相論しており、仙阿は闕所地となっていたものを建武五年(一三三八)に勲功の賞として拝領したといい、高光は「重代相伝当知行」を主張している(貞和二年六月三日「久下仙阿代官菅原義成請文」・同年一一月日「南条高光申状案」大石寺文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報