昭和期の詩人。北海道生れ。父三木清次郎は洋服仕立職人,母小熊マツが死亡した3歳のとき,マツの私生子として入籍。徴兵検査の際,この事実を知り,ショックを受ける。高等小学校卒業後,漁場の人夫,養鶏場番人ほか多くの労働に従事した。1922年旭川新聞社に入社,社会部に属し,文芸欄を担当,詩・童話を発表し始める。上京,帰郷をくり返した後,28年から東京で雑誌・新聞の編集に関係したが,生活は困窮をきわめた。31年,遠地輝武(おんちてるたけ)を通して,プロレタリア詩人会に参加,意欲的に創作した。35年風刺雑誌《太鼓》に加入,しゃべりまくり,歌いまくる饒舌(じようぜつ)に風刺をきかせて,弾圧の激しい暗い時代に,民衆の肉体からにじみ出る抵抗の姿勢を示した。《小熊秀雄詩集》,長編叙事詩集《飛ぶ橇(そり)》(ともに1935),戦時下には検閲のため刊行できず,没後刊行された《流民詩集》(1947)のほか,美術評論,童話等がある。
執筆者:首藤 基澄
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昭和期の詩人,洋画家
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
詩人。北海道小樽(おたる)に生まれる。樺太(からふと)(サハリン)の高等小学校卒業後、さまざまな雑労働を経験し、1922年(大正11)旭川(あさひかわ)新聞社に入社、このころから詩、童話などを書く。28年東京に居を定め、病と貧苦のなかで盛んに詩作し、31年(昭和6)プロレタリア詩人会に加わる。プーシキンなどのロシア文学を愛読し、強権的な時代にあって柔軟かつ不屈な姿勢を貫き、「しゃべりまくる」ようにして書かれた詩や同時代への多様な評言によってプロレタリア文学において独自なありようを示した。35年『小熊秀雄詩集』『飛ぶ橇(そり)』を出版。画論、画家論を書く一方、独特な絵(おもに素描)を残した。『槐(えんじゅ)』『現代文学』の創刊に参加、活躍するが、肺結核のため死去。
[鳥居明久]
『『小熊秀雄全詩集』(1965・思潮社)』▽『『小熊秀雄全集』全5巻(1977~78・創樹社)』▽『佐藤喜一著『評伝小熊秀雄』(1978・ありえす書房)』
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