小牧・長久手の戦(読み)こまきながくてのたたかい

百科事典マイペディア 「小牧・長久手の戦」の意味・わかりやすい解説

小牧・長久手の戦【こまきながくてのたたかい】

1584年尾張(おわり)の小牧長久手で戦われた豊臣秀吉徳川家康織田信雄(のぶかつ)の戦い。織田信長死後秀吉の勢力増大に対抗し,家康信長の子信雄を味方にして起こした。戦いは秀吉方の部将池田信輝(勝入)・森長可(ながよし)が長久手に敗死するなどしたが,大勢は動かず膠着(こうちゃく)状態となり和睦
→関連項目蒲生氏郷小牧[市]佐々成政墨俣川の戦妻籠長久手[町]増田長盛

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「小牧・長久手の戦」の解説

小牧・長久手の戦
こまき・ながくてのたたかい

1584年(天正12)尾張国小牧・長久手(愛知県小牧市・長久手市)を中心にくり広げられた豊臣秀吉と徳川家康・織田信雄の連合軍の合戦。賤ケ岳(しずがたけ)の戦ののち秀吉と信雄の対立が顕然化し,信雄は家康と同盟を結んで対抗して3月に戦闘状態となる。秀吉軍は犬山城を奪取。家康は小牧山に布陣して外交戦略を展開,根来(ねごろ)衆・雑賀(さいか)衆や四国の長宗我部元親,越中佐々(さっさ)成政らを動かし秀吉軍を牽制。膠着打破を意図する秀吉軍は,三河国岡崎攻めを敢行するが,4月9日,長久手で敗走。11月12日に信雄が講和を結び,つづいて家康も撤退。この結果,秀吉の統一政権樹立には家康との同盟が必須になった。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

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