デジタル大辞泉
「妻籠」の意味・読み・例文・類語
つまご【妻籠】
長野県南西部、木曽郡南木曽町の地名。近世は中山道の三留野と馬籠の間の宿駅。当時の町並みの保存・復元が行われている。
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妻籠
つまご
長野県南西部、木曽(きそ)郡南木曽町(なぎそまち)の一地区。中山道(なかせんどう)の木曽十一宿の一つで、岐阜県側からは馬籠(まごめ)に次ぐ二番目の宿にあたる。JR中央線の敷設でさびれたが、1971年(昭和46)からの地元の保存運動により宿場町が復原され、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。電柱などは撤去され、脇(わき)本陣は奥谷郷土館となっている。馬籠峠を越えて馬籠宿へ至る信濃路(しなのじ)自然歩道が整備されている。
[小林寛義]
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妻籠 (つまご)
信濃国筑摩郡(長野県木曾郡)の中山道の宿場町。現在,南木曾(なぎそ)町に属する。木曾谷の南端に位置し,中世は木曾氏が伊那谷と東美濃への押えとして妻籠城を築いていた。1584年(天正12)小牧・長久手の戦で豊臣方に味方した木曾氏が妻籠城を守り,徳川方の信濃勢を拒んでいる。1601年(慶長6)宿駅に指定された。町の長さ2町30間,家数83軒,木曾路では馬籠(まごめ)の次に小規模な宿場であった。宿場町保存で知られ,重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。
執筆者:生駒 勘七
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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妻籠
つまご
長野県南西部,木曾谷南部,木曾川左岸の支流蘭 (あららぎ) 川の谷にある小集落。南木曽町に属する。近世中山道の宿場町で,1971年町役場が中心となって,電柱を取除き,民家 26戸を改修するなどして,宿場の景観を復元した。中央には郷土館があり,島崎藤村の小説『夜明け前』ゆかりの家もある。南方の馬籠 (まごめ) 峠を経て馬籠に向う旧中山道は,自然遊歩道として保存されている。蘭川上流域には檜笠の製造で知られる蘭や,木地屋集落の漆畑がある。
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出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の妻籠の言及
【木曾路】より
…また木曾路の称が中山道の代名詞としてつかわれたこともあるが,これは木曾路の知名度の高さを示すものである。木曾路は分水嶺鳥居峠をはさんで,南と北に流れる木曾川と奈良井川(信濃川の上流)に沿って,南北に縦貫し,その間に[贄川](にえかわ),[奈良井],藪原,宮越(みやのこし),[福島],[上松](あげまつ),須原,野尻,三留野(みどの),[妻籠](つまご),[馬籠](まごめ)の11宿が設けられ,また福島には江戸時代の四大関所福島関が置かれていた。宿駅は幕府の交通上の機関として設けられたものであって,各宿とも公用人馬の継立て,公式の宿泊・休憩などを担当する問屋場(とんやば)・本陣・脇本陣をはじめ,これらの業務にたずさわる問屋役・年寄役・伝馬役などの宿役人の家や,一般の旅人の休泊のための旅籠屋・茶屋,それに諸商人・諸職人の家など,200軒から400軒が街道に沿っていわゆる宿場町を形成していた。…
【南木曾[町]】より
…木曾谷南端に位置し,西と南は岐阜県に接する。古くから木曾谷の要衝で,中心の三留野(みどの),南の[妻籠](つまご)は江戸時代には中山道の宿駅として栄えた。漆畑は木曾谷唯一の木地屋集落である。…
※「妻籠」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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