江戸後期の画家。京都の人。名は豊昌、字(あざな)は伯望、月渓と号す。後年画姓を呉(ご)、画名を春(しゅん)とし、呉春として知られる。金座役人の家に生まれ家業を継いだが、そのかたわら大西酔月(すいげつ)に絵を、また与謝蕪村(よさぶそん)に俳諧(はいかい)と絵を学んだ。蕪村門下において早くより高い評価を受けていたが、1781年(天明1)に摂津池田(大阪府)に流寓(りゅうぐう)する。一般にこの時代を池田時代とよんでいる。83年に師の蕪村が没したのち、しだいに京都への往来が頻繁となってゆくが、89年(寛政1)5月、京都四条に移り、円山応挙(まるやまおうきょ)との交流を深め、独自の作風を展開させた。文人画の豊かな叙情性と円山派の精緻(せいち)な写生を、生来の都会的感覚で融合発展させたその画風は、上層商人層の嗜好(しこう)にあい、四条派と銘打って、円山派をしのぐ京都画壇の中心的存在となった。代表作に『木芙蓉鵁鶄(もくふようこうせい)図』(西宮(にしのみや)市・黒川古文化研究所)、『梅林図』(池田市・逸翁美術館)などがある。
[玉蟲玲子]
『山川武著『日本美術絵画全集22 応挙/呉春』(1977・集英社)』
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…秋成が住んだ知恩院前袋町の家の向いには,詩文や書画にも巧みであった儒者の村瀬栲亭(むらせこうてい)がいた。四条派の祖となった画家・俳人として知られる松村月渓(呉春),歌人の小沢蘆庵,さらに風雅のパトロン的立場にあった京都の豪商で画,連歌をよくした世継寂窓(よつぎじやくそう)などが秋成とともに煎茶を楽しんでいたのである。岡崎に居然亭と呼ばれる広大な別荘を持っていた世継寂窓は,また相国寺の大典禅師(1719‐1801)の寿像を描いたことでも知られているが,大典禅師は売茶翁高遊外とも交遊があり,《売茶翁伝》は翁を知る人の書いた伝記として貴重なものである。…
※「松村月渓」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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