江戸中期の画家。四条派の創始者。本姓は松村,通称は文蔵,初名は豊昌,字は允白,伯望。月渓,蕉雨亭,百昌堂と号す。京都金座の年寄役の長男として生まれ,その平役となる。画技ははじめ大西酔月に学び,1774年(安永3)ごろ与謝蕪村について画と俳諧を修める。81年(天明1)摂津の池田へ移り,翌年の春,池田の古名呉服里(くれはのさと)にちなんで姓を呉,名を春と改めた。この池田時代,呉春は蕪村から学んだ技法に平明な自然観察を加味して,新しい画風を確立した。5年後帰洛した呉春は円山応挙と関係を深め,87年応挙が指揮した香住(兵庫県)の大乗寺障壁画制作に参加,その後画風上でも応挙の写生画の影響を受け,95年(寛政7)の第2次大乗寺障壁画制作では応挙の技法を完全に習得,蕪村画風との統一を試み,さらに洒脱味の強い画風へと進んだ。また彼は多芸な人物として知られ,菅茶山,上田秋成ら京都の知識人との親交があった。代表作として,池田時代に《柳鷺群禽図屛風》,応挙風転向後に《泊船図襖》(醍醐寺三宝院),《山水図襖》(妙法院)がある。
→円山四条派
執筆者:河野 元昭
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1752.3.15~1811.7.17
江戸中・後期の画家。四条派の祖。本姓は松村,初名は豊昌,通称文蔵。字は允白・伯望。号に月渓・蕉雨亭など。京都金座役人の家に生まれる。大西酔月から画技を習得,ついで与謝蕪村に画と俳諧を学んだ。1781年(天明元)摂津国池田へ移り,翌春,池田の古名呉服里(くれはのさと)にちなんで呉春と改名。京に戻ったのち円山応挙の影響をうけ,南画の抒情性と応挙の写実性を融合した独自の画風を確立する。代表作「柳鷺群禽図屏風」(重文)。
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→松村月渓
…江戸中期に興った絵画の流派。円山応挙が開いた円山派と呉春が興した四条派の総称。18世紀中ごろ狩野派や土佐派をはじめとする伝統的画派は形式化に陥り,また琳派は尾形光琳のあと卓越した画家に恵まれず,創造性を枯渇させていた。…
※「呉春」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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