日本歴史地名大系 「小石村」の解説 小石村こいしむら 福岡県:北九州市(旧筑前域)若松区小石村[現在地名]若松区小石本村町(こいしほんむらまち)・小石・赤崎町(あかさきまち)・西小石町(にしこいしまち)・東小石町(ひがしこいしまち)・迫田町(さこだまち)・棚田町(たなだまち)・中畑町(なかはたまち)・小糸町(こいとまち)・上原町(かみはらまち)・原町(はらまち)・深町(ふかまち)一―二丁目・下原町(しもはらまち)など小石峠(標高三二メートル)を境に修多羅(すたら)村の北西、石峰(いしみね)山(三〇二・六メートル)の北東麓に位置する。北は海(響灘)に面し、西は小竹(おだけ)村、石峰山を境に南は藤木(ふじのき)村。集落は本村および菖蒲谷(しようぶだに)・荒尾手谷(続風土記拾遺)。「地理全誌」はほかに赤崎・神側(かんそば)・原・中畑、小伊藤(小糸)・溝口(みぞくち)・深町・小田(おだ)などの集落をあげる。小早川時代の指出前之帳では東郷(とうごう)村の枝村として扱われ、同村に含まれて高付されている。慶長七年(一六〇二)の検地帳(高崎家文書)によると、田方は二八町五反余(上田三町一反余・中田四町二反余・下田一二町六反余・下々田八町五反余)で、分米三二三石余、畠方は四町七反余(上畠五反余・中畠九反余・下畠二町二反余・下々畠九反余)で、分大豆二八石余。 小石村おいしむら 石川県:鳳至郡門前町小石村[現在地名]門前町小石上河内(かみがわち)村の東、阿岸(あぎし)川源流域山地に立地。狭い谷間盆地に集落がある。中能登から奥能登に入る古道峨山(がざん)道が抜ける。これは総持寺二世峨山が総持寺と永光(ようこう)寺(現羽咋市)間を往来した道と伝える。中世には櫛比(くしひ)庄諸岡(もろおか)村の内。天文二〇年(一五五一)六月三日の櫛比庄諸岡村名散田指出(興臨院文書)に「小石村壱名」とみえ、左近・さ衛門・坊左近らが作職をもつ二〇〇刈分(銭三貫三五〇文)の田地があり、小物成は鮎の代として二〇〇文を上納。正保郷帳では高七四石余、田方三町五反余・畑方三町四反余。承応三年(一六五四)の村御印でも同高、免六ツ一歩五厘(能登奥両郡収納帳)。寛文一〇年(一六七〇)の村御印の高八八石余、免五ツ三歩、小物成は山役二七匁・苦竹役一匁・漆役二匁、鍛冶炭役五匁(出来)であった(三箇国高物成帳)。 小石村こいしむら 高知県:幡多郡大正町小石村[現在地名]大正町小石上山(かみやま)村の北方、檮原(ゆすはら)川が仁井田(にいだ)川に合流する地点の上流、東から檮原川に流入する芳川(よしかわ)川の下流域にある。上山郷下分(しもぶん)の一村。「土佐州郡志」は「東限小石峰、西限津野之大川(檮原川)、南限榧之木本、北限宮之向、東西五町南北十二町、戸僅二」と記す。村名は慶長二年(一五九七)の上山郷地検帳の「是ヨリ江志村」と記されたなかにみえ、当時は江志(えし)(江師)村を構成する一村であった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by