1選挙区から議員1名を選出する選挙制度。2名以上選出の大選挙区制に対する語。第二次世界大戦後の1947年(昭和22)から1994年(平成6)の小選挙区比例代表並立制への選挙制度改革に至る約50年近く続いた日本の衆議院議員選挙では、2名から5名選出したが、これはとくに日本では中選挙区制とよばれる。小選挙区制では、イギリス、アメリカにみられるように、第三党以下の小政党の進出が困難で二大政党制になりやすく、その意味では政局が安定するという利点が指摘されている。また選挙区が狭いので選挙人は候補者を知ることが容易で、選挙費用も少なくてすむといわれる。他方で、1名以外はすべて落選するので死票が多くなり、また無所属の新人の候補者が当選しにくいなどの欠陥がある。この場合、少数党にも議席を与えようとして比例代表制を加味する方法もある(ドイツ・日本)。
日本では1889年(明治22)と1919年(大正8)の衆議院議員選挙法で小選挙区制を採用したことがある。それ以外は大選挙区制か中選挙区制を採用し、戦後ほとんどは中選挙区制を採用している。戦後、中選挙区制を小選挙区制に改正しようとする動きが二度あった。一度目は1956年(昭和31)に鳩山一郎(はとやまいちろう)内閣が国会に法案を上程したとき、二度目は1973年に田中角栄首相が小選挙区制を打ち出したときである。これらは、いずれも野党と世論の猛烈な反対にあい、また与党内部の区割り調整がうまくいかないこともあって流産した。
小選挙区制への改正の理由としては、二大政党制が実現し政局が安定する、選挙費用が少なくてすみ、金権政治や派閥が解消し党が近代化されるなどがあげられている。しかし、小選挙区制を実施して二大政党制が実現する条件としては、保守・労働党(イギリス)、共和・民主党(アメリカ)のように政策の5分の4がほぼ一致しており、5分の1の違いをめぐって政策が争われている場合に可能であって、1955年から1993年(平成5)まで続いた「五五年体制」下における日本の自民党、社会党(現社会民主党)のように政策の内容が大きく異なる場合には、その実現は困難であったといえる。また選挙区が狭くなっても、買収、供応などの不正行為が解消するとも思えず、各派閥は自派の候補者を当選させようとして、かえって与党内の派閥抗争は激化し、党の近代化が実現するとはいえない。もしも、1994年以前の日本のような投票分布図において小選挙区制が実施されると、第一党の自民党が圧倒的に有利となり、7割の議席を占めると試算されていた。鳩山内閣が再軍備・憲法改正を推進するために、田中内閣が得票率50%を割る保守退潮化の傾向に際して、小選挙区制導入を試みた理由は明らかであろう。しかし、1993年に戦後38年間続いた自民党の一党支配が崩れ、保守が分裂したとき、社会党、民社党、公明党など、小選挙区制に反対していたかつての野党が、日本新党の細川護熙(もりひろ)を中心に細川内閣を形成し、1994年に小選挙区比例代表並立制が採択された。
ところで小選挙区制の欠陥として、時の第一党に圧倒的に有利になりやすく、自由民主党が政権を保持し続けている日本のような国では、政治変動が起こりにくいといわれていた。その欠陥を補うために単純小選挙区制に国民意志を忠実に反映する比例代表制を加えたが、これでも第一党に有利であるという状況が続いた。しかし2009年の総選挙においては、第二党である民主党が圧倒的勝利を収めた。
[田中 浩]
(蒲島郁夫 東京大学教授 / 2007年)
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原則として1選挙区から1名の議員を選出する制度。一般的に大政党に有利とされる。1889年(明治22)に公布された衆議院議員選挙法は2~3郡を1選挙区とする小選挙区制を採用したが,狭い区域の少ない有権者を奪いあうため選挙戦が過熱するなど最初から批判があり,1900年の選挙法改正により大選挙区制に移行した。第2次西園寺内閣の原敬(たかし)内相は小選挙区制案を第28議会に提出したが,貴族院は否決。19年(大正8)原内閣は小選挙区制復帰を骨子とする選挙法改正を断行した。25年の普通選挙法成立とともに,中選挙区制に改められた。第2次大戦後も中選挙区制が続いたが,94年(平成6)衆議院議員選挙に小選挙区比例代表並立制が導入された。
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… さらに,93年総選挙を直接の契機とする55年体制崩壊後は,94年の衆議院選挙のための小選挙区比例代表並立制の導入とも相まって,日本の政党政治は,非自民を標榜する党派の離合――自民党からの離党者による新党さきがけの結成(93年6月),新生党の結成(93年6月),新生党,民社党,公明党,日本新党などの解党・合同による新進党の結成(94年12月),新党さきがけ,社民党などからの離党者による民主党の結成(96年9月),新進党からの離党者による太陽党の結成(96年12月),新進党の解党(97年12月)など――と96年1月に社会民主党と党名を変更した旧社会党の落によって特徴づけられる。今後,日本の政党制が,比例代表制がより強く作用して多党制の方向へ向かい,連立政権を常態とするようになるか,小選挙区制のより大きな影響力の下に二党制へ収斂していくか,まだ定かではない。
[政党制と選挙制度]
政党制が国ごとに異なっている要因にはさまざまなものがある。…
…小選挙区,大選挙区とも一長一短がある。小選挙区制の長所は,(1)多数党の出現を容易にし,政局の安定が得られやすい,(2)選挙民が候補者の人物,識見,政見をよく知って投票する,(3)投票率が比較的高くなる,(4)同一政党内における同士討ちの弊害が少ない,(5)選挙運動費用が比較的少額で足りる,(6)候補者の乱立を比較的防止できる,(7)選挙運動の取締りが徹底する,(8)選挙公営の実施が容易である,などである。小選挙区制の短所は,(1)選挙結果は少数代表に不利であり,死票が増加して,不自然な多数党の登場を招く場合がある,(2)地方的勢力家に有利であって全国的大人物に不利であり,議員の素質の低下をもたらすおそれがある,(3)議員が地方的問題にのみ没頭しやすい,(4)新人の進出が困難である,(5)選挙民の候補者選択の幅が狭い,(6)個人的競争となるため選挙運動が激烈となり各種の弊害(暴行,脅迫,情実,買収等)を伴いやすい,(7)人口の変化に伴い,しばしば選挙区の再画定作業が必要となり,ゲリマンダーのおそれがある,などである。…
…ついで84年の選挙法改正では,戸主選挙資格が県選挙区にも適用され,農業・鉱山労働者の富裕層に選挙権が拡大された。また翌85年の議席配分法によって,県・都市選挙区を通じて人口比の原理にもとづく選挙区制の改正が行われ,ここにはじめて1選挙区1議席の小選挙区制が導入されることになった。 このように,イギリスの選挙制度は,19世紀末までに大幅に民主化されたが,まだ完全なものではなく,次のような問題点を残していた。…
※「小選挙区制」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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