山中共古(読み)ヤマナカ キョウコ

20世紀日本人名事典 「山中共古」の解説

山中 共古
ヤマナカ キョウコ

明治〜昭和期の牧師,考古学者,民俗学者 青山学院図書館館長



生年
嘉永3年11月3日(1850年)

没年
昭和3(1928)年12月10日

出生地
江戸・四谷西念寺横町(東京都新宿区)

本名
山中 笑(ヤマナカ エム)

別名
通称=平蔵,字=保全,筆名=春野 山兵衛

学歴〔年〕
東洋英和学校神学科〔明治14年〕卒

経歴
幕臣の子として生まれる。御家人として江戸城に出仕し、15歳で皇女和宮の広敷添番に任ぜられる。維新後は徳川家に従って静岡に移り、静岡藩英学校教授となるが、明治7年宣教師マクドナルドより洗礼を受けてキリスト教(メソジスト派)に入信。11年日本メソジスト教職試補となって伝道活動を始め、静岡に講義所(のち静岡教会)を設立し、帰国中のマクドナルドの代理を務めた。以後、浜松、東京・下谷、山梨、静岡・吉原の各教会の牧師を歴任。教派内の軋轢遠因で牧師を辞したのち、大正8年から青山学院の図書館に勤務、館長に就任。傍ら、独自に考古学・民俗学の研究を進め、各地の習俗や民俗資料・古器古物などを収集。民俗学者の柳田國男とも書簡を交わしてその学問に大きな影響を与えるなど、日本の考古学・民俗学の草分け的存在として知られる。江戸時代文学風俗にも精通し、集古会など在野の学者・趣味人たちの集まりでも重きをなした。著書に「甲斐の落葉」「共古随筆」「砂払」があり、また日記「共古日録」正続66冊からの抄録「共古日録抄」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「山中共古」の解説

山中共古

没年:昭和3.12.10(1928)
生年:嘉永3.11.3(1850.12.6)
明治大正期のキリスト教伝道者,民俗学者。本名笑。幕臣山中三九郎保全の次男。江戸西念寺横丁(新宿区四谷)生まれ。皇女和宮の広敷添番を務めたのち明治6(1873)年,徳川慶喜に従い静岡に移る。静岡藩英学教授を経て,同7年土屋彦六らと共にカナダ人宣教師D.マクドナルドから洗礼を受け,同11年日本メソジスト教職試補となり伝道を開始する。以後,浜松,東京下谷,甲府,静岡吉原などの教会を転任。その間,各地の習俗や民俗資料を独自に捜集,記録に書き留め,日本民俗学の先駆的業績を残す。甲府での見聞をまとめた『甲斐の落葉』は柳田国男の編集した「炉辺叢書」の1冊として刊行された。200冊もの洒落本からの抜き書き注釈書『砂払』の著者でもある。<参考文献>広瀬千香『山中共古ノート』1~3集

(坪内祐三)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山中共古」の解説

山中共古 やまなか-きょうこ

山中笑(やまなか-えむ)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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