メディア・アーティスト。東京生まれ。1951年(昭和26)、日本大学法学部法律学科卒業。大学在学中の1948年、抽象絵画を描き始めて作家活動を開始。大学を卒業した年に滝口修造、北代省三(きただいしょうぞう)、武満徹(たけみつとおる)ら13人のメンバーによって「実験工房」を結成、音楽、演劇、舞踏、映像などジャンルを越えた活動を展開した。そのなかで山口は、独創的な構造と独自の光学原理に基づいた、絵画でも彫刻でもないガラスの立体作品「Vitrine」のシリーズ(初制作は1951年。命名者は滝口修造)を発表、高い評価を受けた。1960年代前半には布などを利用した立体彫刻、後半にはアクリル樹脂の光沢を視覚効果に利用した光の彫刻を発表するなど活動の幅を広げ、「日本前衛展」(1965、ニューヨーク近代美術館)、「国際彫刻展」(1967、グッゲンハイム美術館)へ出品し、国際的に認められる。1968年には、三木富雄、菅井汲(すがいくみ)、高松次郎と並んでベネチア・ビエンナーレに日本館代表作家として参加、光の彫刻『KISS』を出品した。
1970年代以降はビデオ・アートの制作に着手。『コンセプトリップ』(1972)、『未来庭園』(1981)、『銀河庭園』(1986)などの代表作を残す一方で、1977年にはビデオによる個展「ビデオラマ」(東京、大阪)を開催するなど、日本におけるビデオ・アートの草分けとしての実績を示した。その後もコンピュータ・アート、ホログラフィー、キネティック・アートなど斬新なメディアを積極的に取り入れた作品を発表。
また1970年の日本万国博覧会では「三井グループ館」の総合プロデューサーを務め、1981年の神戸ポートピアでは国際ビデオ・アート展の開催を組織するなどプロデューサーとしても活躍。
山口のメディア・アートの特徴としては、単にテクノロジーを礼賛するのではなく、建築デザインや庭園への関心に基づく周囲の環境への配慮が絶えず含まれていることがあげられる。海外ではパリ市立近代美術館、パリ・ユネスコホール、カーディフ文化センター(イギリス、ウェールズ)、アントウェルペン現代美術館(オランダ)、ブエノス・アイレス国立美術館などで作品が紹介されているほか、国内では1996年(平成8)に東京・練馬区立美術館で個展が開催された。
1977~1992年、筑波大学教授。在職中に芸術研究科長、芸術学系長、芸術学群長を歴任、その後同大名誉教授。1992~2000年、神戸芸術工科大学教授、その後同大名誉教授。1985年ロカルノ国際ビデオ・アート・フェスティバル(スイス)で「黄金のレーザー賞」、1993年同フェスティバルでマルチメディア・パフォーマンス部門グランプリ、2000年毎日芸術賞受賞など受賞歴も多い。著書には『不定形美術ろん』(1967)、『環境芸術家キースラー』『ロボット・アヴァンギャルド』(ともに1978)、『映像空間創造』(1987)、『メディア時代の天神祭』(1992)などがある。
[暮沢剛巳 2018年5月21日]
『『不定形美術ろん』(1967・学芸書林)』▽『『環境芸術家キースラー』(1978・美術出版社)』▽『『ロボット・アヴァンギャルド』(1978・Parco出版局)』▽『『映像空間創造』(1987・美術出版社)』▽『『メディア時代の天神祭』(1992・美術出版社)』
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