日本歴史地名大系 「山本新田」の解説 山本新田やまもとしんでん 大阪府:八尾市山本新田[現在地名]八尾市山本町一―五丁目・山本(やまもと)町南(みなみ)一丁目・同三―七丁目・山本高安(やまもとたかやす)町一―二丁目・山本(やまもと)町北(きた)一―八丁目など玉串(たまくし)川(旧大和川の一流)の両岸に沿って南北に細長く延びる。宝永元年(一七〇四)の大和川付替えで、旧川床地帯に多くの新田が開発されたが、山本新田もその一つ。灌漑のため旧流路に合せて用水井路が設けられ、玉串川はその井路。若江郡に属し、南は柏村(かしむら)新田、北は玉井(たまい)新田(現東大阪市)に接し、村が南北に長いため東西に接する村は多い。村の中心である新田会所は立石(たていし)(八尾)街道のすぐ南にあった。ちょうど産土神山本八幡宮と玉串川を挟んで並ぶ格好となる。 山本新田やまもとしんでん 大阪府:堺市山本新田[現在地名]堺市山本町一―四丁・海山(かいさん)町一―四丁・三宝(さんぽう)町一―四丁・神南辺(かんなべ)町一―四丁など堺町の北西側に位置する。もと宝永元年(一七〇四)開削された大和川河口南部の寄洲であったが、延享元年(一七四四)九月、堺舳松口之(へのまつくちの)町の山本茂兵衛が開発に着手、宝暦二年(一七五二)七月までに一二町六反余を開発、検地を受けた。その後、開発権は市之(いちの)町浜(はま)の海部屋甚兵衛に譲られ、同氏によって二町三反余が開発された。 山本新田やまもとしんでん 大阪府:南河内郡狭山町山本新田[現在地名]狭山町山本岩室(いわむろ)村の北東にあり、西は和泉国、北は草尾(くさお)新田(現堺市)と大野(おおの)新田。ほぼ平坦地に位置する。大野芝(おおのしば)とよばれる丘陵地帯を開発、元禄一五年(一七〇二)幕府代官が検地した。 山本新田やまもとしんでん 滋賀県:蒲生郡日野町山本新田[現在地名]日野町山本山本村の北部丘陵上にあり、尾張藩領であった同村の枝郷として成立した新田村。天和二年(一六八二)に公家中納言桶口信康の仲介により尾張藩の許しを得た尾林九郎右衛門・大野伝兵衛が新田開発に着手。開墾面積は元禄一三年(一七〇〇)には田畑合計一二町余となり、一三戸が入植した。このときの年貢米は二石七升で桶口家に納付されたが、翌年からは尾張藩に収納された(「名寄帳」山本共有文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by