山本 秀煌
ヤマモト ヒデテル
明治〜昭和期の牧師,神学者 明治学院神学部教授。
- 生年
- 安政4年10月30日(1857年)
- 没年
- 昭和18(1943)年11月21日
- 出生地
- 丹後国峯山(京都府)
- 学歴〔年〕
- 東京一致神学校〔明治11年〕卒
- 経歴
- 峯山藩藩校・敬業堂で漢学を学び、明治6年横浜に出て軍医長瀬時衡の家に寄食、宣教師J・H・バラーの説教を聞き、奥野昌綱の聖書講義を受けヘボンの学校に学んだ。7年日本基督公会横浜基督教会(海岸教会)で受洗、11年東京一致神学校(のち明治学院神学部)卒後牧師となった。日本基督教会の名古屋、横浜指路、高知、大阪東各教会で伝道。この間、34年米国のオーバン神学校に学んだ。40年明治学院神学部教授となり、20年間勤め、のち無任所牧師、晩年は高輪教会の牧師を務めた。日本基督教会の大会議長を7回務め、日本キリスト教史の権威。著書に「日本基督教史」(全2巻)「近世日本基督教史」「西教史談」「日本基督教会史」「ゼー・シー・ヘボン博士」「江戸切支丹屋敷の史蹟」「東洋の大使徒フランシスコ・ザベリヨ」などがある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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山本秀煌 (やまもとひでてる)
生没年:1857-1943(安政4-昭和18)
牧師,神学者。丹後峰山藩出身で,横浜バンドの一人。日本基督一致神学校卒業後,高知教会,横浜住吉町教会,大阪東教会などの牧師を歴任,1908年より明治学院教授として教会史を講じた。教会法規にくわしいために,日本基督教会大会書記,同議長をしばしばつとめ,日本組合教会との合同運動,外国のミッションとの協力関係,日本基督教会憲法規則改定では重要な役割を負った。
執筆者:土肥 昭夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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山本秀煌 やまもと-ひでてる
1857-1943 明治-昭和時代前期の牧師,神学者。
安政4年10月30日生まれ。横浜でJ.H.バラから受洗。各地を伝道後,大阪東教会などの牧師となる。明治40年明治学院教授となり,20年間勤務。昭和18年11月21日死去。87歳。丹後(京都府)出身。東京一致神学校(現明治学院大)卒。本姓は岩井。著作に「日本基督教会史」など。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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山本秀煌
やまもとひでてる
[生]安政4(1857).10.30. 丹波
[没]1943.11.21. 横浜
牧師。横浜で宣教師 J.H.バラより受洗。ヘボン塾,ブラウン塾を経て東京一致神学校で学ぶ。のち明治学院教授。主著『日本基督教会史』。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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山本 秀煌 (やまもと ひでてる)
生年月日:1857年10月30日
明治時代-昭和時代の牧師。明治学院教授
1943年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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