奥野昌綱(読み)おくのまさつな

精選版 日本国語大辞典 「奥野昌綱」の意味・読み・例文・類語

おくの‐まさつな【奥野昌綱】

  1. 牧師。上野輪王寺宮に仕えたが、維新後、米国宣教師ヘボンの日本語教師となり、感化されてキリスト教入信聖書、讚美歌の翻訳にもあたった。文政六~明治四三年(一八二三‐一九一〇

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改訂新版 世界大百科事典 「奥野昌綱」の意味・わかりやすい解説

奥野昌綱 (おくのまさつな)
生没年:1823-1910(文政6-明治43)

キリスト教伝道者。旗本で,武芸学問を習得し,幕府に仕えたが,明治維新で没落し自暴自棄となる。知人の紹介でヘボンの日本語教師をつとめ,横浜バンドの一人となる。横浜公会長老,1877年日本基督一致教会教師となり,東京,横浜の諸教会牧師を歴任し,各地に伝道した。初期の聖書共同訳委員でもあり,多くの賛美歌も創作した。草創期の教会を代表する人物の一人。
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朝日日本歴史人物事典 「奥野昌綱」の解説

奥野昌綱

没年:明治43.12.5(1910)
生年:文政6.4.4(1823.5.14)
明治時代のキリスト教牧師。江戸下谷御徒町に幕臣竹内五左衛門直通の3男として生まれる。弘化4(1847)年奥野家の養子になる。輪王寺宮(北白川宮能久親王)に仕える。上野彰義隊の戦いでは負け戦となり,脱走する。小川義綏の紹介でJ.C.ヘボンと知り合い,日本語教師となり,和英辞典の編集を助ける。宣教師J.H.バラからイエスを裏切ったペトロの話を聞き,自分の弱さと重ね感激する。明治8(1875)年S.R.ブラウンから受洗。麹町(高輪)教会などの牧師となる。幼少時から,国学,書,歌を習い,その才能を日本語聖書の翻訳と版下書き,また『新撰讃美歌』の編集に生かした。<参考文献>黒田惟信編『奥野昌綱先生略伝並歌集』

(原島正)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「奥野昌綱」の意味・わかりやすい解説

奥野昌綱
おくのまさつな

[生]文政6(1823).4.4. 江戸
[没]1910.12.2.
キリスト教の牧師。 11歳で東叡山春性院に入る。文武両道を修め百芸に秀でたという。 25歳のとき,奥野家の養子となり輪王寺家に仕えたが,江戸幕府の崩壊とともに各地を流浪。明治4 (1871) 年横浜の女婿の家に寄寓中,J.C.ヘボンの日本語教師となり聖書翻訳を手伝う。同5年 S.R.ブラウンより受洗。『天道溯源』『格物探源』『漢訳聖書』などに訓点を付して出版。 1877年小川義綏とともに日本最初の牧師となり,麹町,銀座,数寄屋橋,牛込教会をはじめ各地の教会を牧会し,その間聖書和訳,賛美歌編集に功績があった。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「奥野昌綱」の解説

奥野昌綱 おくの-まさつな

1823-1910 明治時代の牧師。
文政6年4月4日生まれ。彰義隊に参加して敗走。維新後,横浜でアメリカ人宣教師J.C.ヘボンの日本語教師となり,キリスト教の感化をうけ受洗。明治10年小川義綏(よしやす)らとともに日本最初の牧師となった。新約聖書の翻訳や新撰賛美歌の編集にたずさわる。明治43年12月5日死去。88歳。江戸出身。本姓は竹内。

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