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奥野昌綱 おくのまさつな

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

奥野昌綱
おくのまさつな

[生]文政6(1823).4.4. 江戸
[没]1910.12.2.
キリスト教の牧師。 11歳で東叡山春性院に入る。文武両道を修め百芸に秀でたという。 25歳のとき,奥野家の養子となり輪王寺家に仕えたが,江戸幕府の崩壊とともに各地を流浪。明治4 (1871) 年横浜の女婿の家に寄寓中,J.C.ヘボン日本語教師となり聖書翻訳を手伝う。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

奥野昌綱 おくの-まさつな

1823-1910 明治時代の牧師。
文政6年4月4日生まれ。彰義隊に参加して敗走。維新後,横浜でアメリカ人宣教師J.C.ヘボンの日本語教師となり,キリスト教の感化をうけ受洗。明治10年小川義綏(よしやす)らとともに日本最初の牧師となった。新約聖書の翻訳や新撰賛美歌の編集にたずさわる。明治43年12月5日死去。88歳。江戸出身。本姓は竹内。

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朝日日本歴史人物事典の解説

奥野昌綱

没年:明治43.12.5(1910)
生年:文政6.4.4(1823.5.14)
明治時代のキリスト教牧師。江戸下谷御徒町に幕臣竹内五左衛門直通の3男として生まれる。弘化4(1847)年奥野家の養子になる。輪王寺宮(北白川宮能久親王)に仕える。上野彰義隊の戦いでは負け戦となり,脱走する。小川義綏の紹介でJ.C.ヘボンと知り合い,日本語教師となり,和英辞典の編集を助ける。宣教師J.H.バラからイエスを裏切ったペトロの話を聞き,自分の弱さと重ね感激する。明治8(1875)年S.R.ブラウンから受洗。麹町(高輪)教会などの牧師となる。幼少時から,国学,書,歌を習い,その才能を日本語聖書の翻訳と版下書き,また『新撰讃美歌』の編集に生かした。<参考文献>黒田惟信編『奥野昌綱先生略伝並歌集』

(原島正)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

おくのまさつな【奥野昌綱】

1823‐1910(文政6‐明治43)
キリスト教伝道者。旗本で,武芸学問を習得し,幕府に仕えたが,明治維新で没落し自暴自棄となる。知人の紹介でヘボンの日本語教師をつとめ,横浜バンドの一人となる。横浜公会長老,1877年日本基督一致教会教師となり,東京,横浜の諸教会牧師を歴任し,各地に伝道した。初期の聖書共同訳委員でもあり,多くの賛美歌も創作した。草創期の教会を代表する人物の一人。【土肥 昭夫】

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