朝日日本歴史人物事典 「山登検校」の解説
山登検校(初代)
生年:天明2.1.12(1782.2.23)
江戸中・後期の山田流箏曲家。名は松和一。文化9(1812)年に検校。師の山田検校より山田姓の継承を命じられたが辞したという。煉薬で美声を保ち,富本節や河東節を嗜み,琵琶や胡弓も得意とした。『蜘蛛の糸巻』(1846)に「出藍の聞えありて」とある。山田検校の作品集『吾嬬箏譜』再板(1824)に跋文と自作を追加。『増訂撫箏雅譜集』(1853)を刊行。作品に「春日詣」「初若菜」「糸の恋」「西行」「手枕」「新七草」「なでしこ」など。門下に2代目山登検校松逸一,千代田検校,初代佐藤登名美ほか。<参考文献>平野健次監修・解説レコードアルバム『山登検校の代々』
(野川美穂子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報