山科本願寺跡(読み)やましなほんがんじあと

日本歴史地名大系 「山科本願寺跡」の解説

山科本願寺跡
やましなほんがんじあと

[現在地名]山科西野にしの阿芸沢あげざわ町・大手先おおてさき町・左義長さぎちよう町・山階さんかい町・様子見ようすみ町・離宮りきゆう町〉

山科盆地の中央やや西寄り、渋谷しぶたに街道の南、みや川・山科川右岸の東西五〇〇メートル、南北一キロほどの地にあった寺で、現存しない。

〈京都・山城寺院神社大事典〉

〔創建〕

文明一〇年(一四七八)本願寺八代蓮如創建した。蓮如が越前吉崎よしさき(現福井県金津町)を退いて河内出口でぐち(現大阪府枚方市)に至り、ついで山科に本願寺の地を求めた。「蓮如上人遺徳記」は、

<資料は省略されています>

と記している。寺地は、「本願寺中興蓮如上人伝絵」によれば、室町幕府の奉公衆海老名氏と同族の可能性のある、山科七郷の地侍衆の海老名五郎左衛門(西宗寺開基浄乗)寄進という。

〔造営次第〕

建物の造営は「蓮如上人遺徳記」「帖外御文」によれば、文明一〇年一月から開始されている。最初に和泉国より「小坊」を移築し、ついで馬屋、翌一一年には庭園・向所・寝殿も建てられた。同一二年には御影堂建立に着手し、「正月ニ御影堂御建立アルヘキタメニ、先三帖敷ノ小御堂ヲカリ殿ニソ立給ケル」(拾塵記)と、まず小御堂から建てられ、河内の門徒が大和吉野よしのの木材を運んで三月に御影堂が完成、二八日に上棟式が行われた。さらに一一月には親鸞祖像(木像)大津おおつ(現滋賀県大津市)近松坊より遷座し、翌一三年には阿弥陀堂にも着工され、翌一四年山科本願寺はほぼ完工をみた。蓮如はこれを「京都本願寺」とよんでいる(帖外御文)。また「野村殿御坊」(蓮如上人御一代聞書)とも「野村殿」(本福寺跡書ほか)とも称された。

〔寺構と寺内町〕

天文元年(一五三二)山科本願寺を訪れた鷲尾隆康は、その日記「二水記」八月二四日条に「尤寺中広大無辺、荘厳只如仏国云々、在家又不洛中、居住之者各富貴、仍家々嗜随分之美麗云々」と記すが、これは寺内町を含めての記述である。野村本願寺古御屋敷之図(光照寺蔵)によれば、第一郭御本寺・第二郭内寺内・第三郭外寺内の各々が土居と堀とで区画されている。また「本願寺作法之次第」によれば、鐘や太鼓が用いられ、寺内町住人の生活を規制する掟もつくられていた。

<資料は省略されています>

寺内町のことは、「蓮如上人一期記」に「山科ノ八町ノ町」、「天文日記」天文六年七月一三日条にも「八ちやうまち」とあり、八町からなっていた。

〔焼亡と再建計画〕

父蓮如の後を継いだ実如は教団を発展させたが、本願寺一〇代証如の時代になると戦国の騒乱に巻込まれる。天文元年八月二三日細川晴元の軍勢と日蓮宗徒の攻撃をうけて焼失した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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