数学者。和歌山県生まれ。1925年(大正14)京都帝国大学理学部数学科卒業。1929年(昭和4)京大助教授となり、3年間パリに留学。その間、多変数複素関数論が当時数学において最重要な課題であるにもかかわらず、いまだ表皮的な成果しか得られていないと断じて、これを自己の研究課題と決意して帰国した。帰国後、広島文理科大学助教授となる。
1936年から1942年の間に、当面の問題である「クザンの問題」などを、すべて解決したが、なかでも重要なのは「レビの問題」であった。Gが正則領域なら、Gは局所的にはある意味で凸である。すなわち擬凸である。これの逆の命題がレビの問題で「擬凸なら正則領域か」であり、年来の難問題であった。まず2変数の場合に、肯定的に解いたが、一般n次元のときには、局所イデアルの概念を導入し、そのうえにたてられた理論により、やはり肯定的に解けることを示したのである。この局所イデアルはアンリ・カルタンHenri Cartan(1904―2008)の層の概念の原型であり、その理論は解析的層の連接性を与えるものであった。このように岡は具体的に多変数解析関数に没入することによって、層という数学の各分野にわたって有効な概念の鉱脈を掘り当てたというべきである。1949年(昭和24)奈良女子大学教授に就任、1951年には学士院賞を受賞し、1960年には文化勲章を授与された。天才に奇行多しというが、彼にも奇行は少なくはなかった。また文才にも長じ、『春宵(しゅんしょう)十話』など多くの随筆を残した。
[秋月康夫]
『『岡潔集』全5巻(1969・学習研究社/2008・学術出版会、日本図書センター)』▽『岡潔著『岡潔 日本の心』(1997・日本図書センター)』▽『岡潔・胡蘭成著『岡潔/胡蘭成』(新学社近代浪漫派文庫)』▽『高瀬正仁著『評伝 岡潔――星の章』『評伝 岡潔――花の章』(2003、2004・海鳴社)』▽『帯金充利著『天上の歌――岡潔の生涯』(2003・新泉社)』
昭和期の数学者,随筆家 奈良女子大学名誉教授。
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数学者。和歌山県紀見村(現,橋本市)に生まれる。1925年京都帝国大学卒業後,広島文理科大学の創設に当たり,その一員として29年から3年間フランスに留学した。そこでは個々の問題について研究するよりも,将来なにを研究すべきかについて深く考え,多変数複素解析関数論をそれと見定めて帰国した。19世紀は関数論の世紀といわれるほどで,1変数の理論はほぼ完全にでき上がっており,彼はとりわけB.リーマンに傾倒していた。しかし多変数の場合は1変数と様相が根本的に違ってくるにもかかわらず,多変数固有の視点も着想もなんら見いだされていないことに気づき,その開拓を決意し,P.クーザンの問題,正則域の条件などを解決し,多変数理論の大綱を独力で築き上げた。彼の〈不定域イデアル〉の考えが,20世紀後半の数学における基本概念となった〈層〉の原型をなしていたことは重要である。60年文化勲章受章。
執筆者:秋月 康夫
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…層は非常に一般的な考えであり,数学における種々の概念を統一的に扱ったり,問題を定式化するのに有効な道具である。もともとは,1940年代後半に岡潔が多変数関数論の研究の中で,現在の前層にあたるものを利用した。岡はそれを不定域イデアルと呼んだが,他方同じころ,これとは独立にルレーJ.Leray(1906‐ )が同様なものを考えた。…
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