日本歴史地名大系 「岸田川」の解説 岸田川きしだがわ 兵庫県:美方郡岸田川温泉(おんせん)町の南部、鳥取県境にそびえる扇(おうぎ)ノ山(但馬では烏ヶ山とよぶ)の東斜面、同町岸田字菅原(すがはら)に発し、北流して浜坂(はまさか)町浜坂地先で日本海に注ぐ。延長二八キロ余の二級河川。おもな支流として上流から照来(てらぎ)・春来(はるき)・熊谷(くまだに)・田君(たきみ)・久斗(くと)・田井(たい)の各河川を合せ、流域面積は二一五・一平方キロ。上流部には霧(きり)ヶ滝(たき)渓谷・小又川(こまたがわ)渓谷(現温泉町)などの景勝地がある。久斗川は延長一三キロ余、支流中第一の川で、浜坂町久斗山(くとやま)字ツヅライに発し、久谷(くたに)川などを合せ、同町福富(ふくどめ)集落の西方で当川に合流する。合流点付近は美方郡域有数の平野が広がる。天正六年(一五七八)五月、久斗川・田井川との合流点付近にある二方(ふたかた)神社の社殿が洪水により流失したとの伝えや(兵庫県神社誌)、元和六年(一六二〇)の幕府領の年貢取集帳(宮元文書)に川役としてアユと代銀が半々で課されているのが、間接的ではあるが、年代の判明するものとして当川が認識される比較的早期のものである。なお但州二方郡城主時代記(竹中家文書)によると、この川役は因幡若桜藩主山崎氏支配の時代に始まったと伝えられる。また川名は上流部の石橋(いしばし)村(現温泉町)の宝暦六年(一七五六)の明細帳(馬場家文書)では「川、岸田村境より流れ」とあり、やや下流の千谷(ちだに)・鐘尾(かねお)・千原(ちわら)村(現同上)などでは八太谷(はつただに)川(同年「千谷村明細帳」西谷家文書など)、下流部の二日市(ふつかいち)村・浜坂村(現浜坂町)では単に大川とよび(宝暦六年「二日市村明細帳」二日市区有文書、明和九年「浜坂村明細帳」浜坂町役場蔵)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
日本大百科全書(ニッポニカ) 「岸田川」の意味・わかりやすい解説 岸田川きしだがわ 兵庫・鳥取県境の扇ノ山(おうぎのせん)(1310メートル)に源を発し、北流して兵庫県新温泉(しんおんせん)町で日本海に注ぐ川。延長24.8キロメートル、流域面積193.8平方キロメートル。流域は但馬(たじま)山岳県立自然公園に属する景勝地で、中流には県下第一の熱泉湯村温泉があり、河口に近い浜坂漁港はマツバガニの漁獲で知られる。流域一帯は県下最大の多雪地で人口の流出が著しい。[吉田茂樹] 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例 Sponserd by