島田墨仙(読み)しまだぼくせん

精選版 日本国語大辞典 「島田墨仙」の意味・読み・例文・類語

しまだ‐ぼくせん【島田墨仙】

  1. 日本画家。本名は豊。福井藩出身橋本雅邦に師事。はじめ日本絵画協会に出品、のち文展帝展に出品。歴史人物画が多い。代表作山鹿素行先生」「塙保己一」。慶応三~昭和一八年(一八六七‐一九四三

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20世紀日本人名事典 「島田墨仙」の解説

島田 墨仙
シマダ ボクセン

大正・昭和期の日本画家



生年
慶応3年10月9日(1867年)

没年
昭和18(1943)年7月9日

出生地
越前国(福井県)

本名
島田 豊

主な受賞名〔年〕
帝国芸術院賞〔昭和18年〕「山鹿素行先生」

経歴
明治29年上京、橋本雅邦に師事。同年日本絵画協会第1回展に処女作雲竜」を出品、30年第2回展に「致城帰途」、36年内国勧業博覧会で「大石主税刺鼠之図」が3等銅賞となった。文展には第1回から出品、大正14年第6回展で委員に推され、昭和3年第9回展で審査員。帝展、改組後の文展、日本南画院、またイタリアドイツフランスの日本画展などに出品を続けた。他に「塙保己一」「大石良雄」「橋本左内先生」など、歴史画、人物画が多い。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「島田墨仙」の意味・わかりやすい解説

島田墨仙
しまだぼくせん
(1867―1943)

日本画家。本名豊。福井藩の島田雪谷次男。初め父に四条(しじょう)派を学び、1896年(明治29)上京して橋本雅邦(がほう)に入門し、本格的に画(え)の修業を始め、日本絵画協会第3回共進会に出品した『致城帰途』で認められる。このころより歴史人物画の分野を志し、有職故実(ゆうそくこじつ)や漢籍を川崎千虎(せんこ)と信夫恕軒に学び、また日本古来の肖像画の技法の研究に努めた。第5回内国勧業博覧会に出品した『大石主税(ちから)刺鼠之図』で著名となり、文展、帝展に主として気品の高い歴史人物画を発表した。ことに第5回新文展(1942)の『山鹿素行(やまがそこう)』は代表作となり、帝国芸術院賞を受けた。

[星野 鈴]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「島田墨仙」の解説

島田墨仙 しまだ-ぼくせん

1867-1943 明治-昭和時代前期の日本画家。
慶応3年10月9日生まれ。島田雪谷(せっこく)の次男。橋本雅邦(がほう)にまなび,文展,帝展などに歴史人物画を出品。昭和18年「山鹿(やまが)素行先生」で芸術院賞。作品に「塙保己一(はなわ-ほきいち)」「大石良雄」など。昭和18年7月9日死去。77歳。越前(えちぜん)(福井県)出身。名は豊。

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367日誕生日大事典 「島田墨仙」の解説

島田 墨仙 (しまだ ぼくせん)

生年月日:1867年10月9日
大正時代;昭和時代の日本画家
1943年没

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