日本歴史地名大系 「川ノ内村」の解説 川ノ内村かわのうちむら 山形県:最上郡真室川町川ノ内村[現在地名]真室川町川ノ内新町(あらまち)村・平岡(ひらおか)村の北に位置する。中心集落は真室川左岸段丘上にあり、同川および支流域に左鍛冶(ひだりかじ)・関沢(せきざわ)・塩沢・栗谷沢(くりやざわ)・三滝(さんたき)・下春木(しもはるき)の各枝郷(新田本村鑑)が点在する。川内とも記した。代々庄屋を勤めた新田嘉右衛門家は上州新田氏の一族で鮭延氏の重臣であったが、戸沢氏の代となって当地へ引越し、当村地内や周辺の新田開発に努めたという。真室川の上流(塩根川ともいう)にあり一村として扱われる大滝(おおたき)村、及位(のぞき)村の枝郷として扱われる朴木沢(ほおきざわ)村はかつて当村の枝郷であったが、のち当村より分れた(新田本村鑑)。 川ノ内村かわのうちむら 高知県:高岡郡窪川町川ノ内村[現在地名]窪川町川ノ内大野見(おおのみ)郷(現窪川町の一部と大野見村)との境にそびえる大小権現(だいしようごんげん)山(六九三メートル)に発する勝賀野(しようがの)川上流沿いの村。下流に勝賀野村がある。「仁井田郷談」(「南路志」所収)によると古くは仁井田(にいだ)庄本在家(ほんざいけ)郷一二村の一。天正一七年(一五八九)の仁井田之郷地検帳には「川ノ内村」とあり、地積一一町八反余、ヤシキ三一筆が記される。勝賀野分が一七代余で残りは東分と西分。西和泉守(宗澄)は二三代余の「新土居」に隠居、東氏の所領内にも手作地をもっていた。江戸時代前期には土佐藩家老窪川山内氏の知行地であった。元禄地払帳には川之内村とあり総地高一八一石余、うち本田高一四〇石余、新田高四〇石余。 川ノ内村かわのうちむら 高知県:香美郡香北町川ノ内村[現在地名]香北町川の内古井(こい)村の北、物部(ものべ)川支流河内(かわのうち)川の上流谷間の集落川ノ内と、その北方松尾(まつお)峠に向かう山腹の集落松尾からなる。北西上流は川野(こうの)村。川内・河内・川野内などとも記される。天正一六年(一五八八)の韮生谷地検帳には「自是川内名先高五百名」として五筆四反五代の山畠や屋敷が記され、いずれも「御公領 川内名 孫九良扣」とある。うち一筆四〇代が松尾にある。同帳では三キロ近く離れた松尾を川内名に入れるが、「南路志」では川ノ内村自体が古井村に含まれている。古井―川ノ内―松尾と連なる松尾越のルートによって結ばれていたものであろう。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by