明治〜昭和期の詩人,美術評論家
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
詩人,美術評論家。東京都の生れ。本名誠。曾祖父は川路聖謨。1913年東京美術学校卒。《詩人》の1907年9月号に日本の口語詩の最初の作と言われる《塵溜(はきだめ)》ほか〈新詩四章〉を発表して注目され,《路傍の花》(1910),《かなたの空》(1914)などの詩集を刊行した。17年に結成された詩話会の中心的詩人の一人となり,曙光詩社を設立し,《現代詩歌》《炬火(たいまつ)》などの雑誌を発行して諸詩人を育成した。その詩風は時とともに変転して多彩,新律格の研究にも熱心で,《歩む人》(1922),《明るい風》(1935)などの詩集に詩風の展開を示した。《現代美術の鑑賞》(1925),《マチス以後》(1930)などの美術評論の著書もある。
執筆者:乙骨 明夫
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詩人、美術評論家。東京・芝に生まれる。本名誠。祖父は川路聖謨(としあきら)。東京美術学校卒業。河井酔茗(すいめい)の『文庫』『詩人』に寄稿して詩人として出発。1907年(明治40)9月『詩人』に口語詩『塵塚(はきだめ)』を含む『新詩四章』を発表して注目された。14年(大正3)西条八十(やそ)らの『未来』に参加したが、18年曙光詩社をおこし、詩誌『伴奏』『現代詩歌』『炬火(たいまつ)』『詩作』を相次いで主宰。平戸廉吉(ひらとれんきち)、村野四郎、深尾須磨子(すまこ)らを育てた。一方、17年詩話会の設立に参加、その中心として活躍、21年『日本詩人』を創刊。詩集に『路傍の花』(1910)、『曙(あけぼの)の声』(1921)、『明るい風』(1935)など、詩論書に『詩学』(1935)などがある。
[安藤靖彦]
『『日本詩人全集12 川路柳虹他集』(1969・新潮社)』▽『石丸久著『人と作品・現代文学講座4』(1961・明治書院)』
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…東京美術俱楽部は東京のほか大阪,京都,名古屋,金沢に俱楽部をもち,入札競売のほか毎年〈五都展〉を開く。一方,洋画商の草分けは1910年,高村光太郎が開いた琅玕堂(ろうかんどう)で,大正初期に田中喜作の田中屋,川路柳虹の流逸荘,野島康三の兜屋がつづく。昭和初期に牧師出身の長谷川仁がはじめた日動画廊は,戦前は上海,戦後はパリをふくむ10都市以上に支店をもった。…
※「川路柳虹」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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