中国において,詩を作る人が定期的に集まって技を競うことを目的として結成された組織。11世紀,北宋時代の呉可《蔵海詩話》の記載によれば,そのころすでに,都市の民衆のあいだに詩社が成立していたことがわかる。時代がさらに下るにつれ,文化の普及と出版事業の発達などにともない,詩を作り,読むことのできる人の数がしだいに増加し,多くの土地に詩社が開かれるようになった。16世紀初頭,明代においては,有力者が詩社の主宰者となり,隔年にテーマを決めて広く一般に知らせ,当該年の春に応募作を集め,詩人を招請して作品の判定者とし,優劣の順位を発表し,優秀作を選んで詩集として出版するなど,科挙に似た方法も行われていたという(李東陽《懐麓堂詩話》)。このような詩社の作品集は後世にほとんど伝わらず,13世紀後半,宋末・元初のころに呉渭が主宰した〈月泉吟社〉から刊行された同名の《月泉吟社》1巻(60人,74首)が知られる程度である。
執筆者:荒井 健 日本では漢詩の流行した江戸時代の中期から明治時代にかけて,多くの詩社がつくられた。明和の初め,大坂で片山北海のつくった,〈混沌社〉,幕末に江戸で大窪詩仏のつくった〈江湖社〉,おなじく梁川星巌のつくった〈玉池吟社〉,明治になって,大沼枕山の〈下谷吟社〉,森春濤の〈茉莉吟社(まつりぎんしや)〉などがその初期に栄え,森槐南の〈星社〉,大江敬香の〈花月社〉などが中期以後に栄え,最後に森槐南を主盟とする〈随鷗(ずいおう)吟社〉がおこった。
執筆者:神田 喜一郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
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