1920年代から1930年代にかけて、日本のおもに重工業部門の財閥系大企業や国営軍工廠(こうしょう)の工場において、労使間の意思疎通のため設置された機関。工場協議会など工場によっては異なった名称もみられる。労働者側代表の委員を主体に若干の使用者側委員が参与として加わるものと、労使双方の委員からなるものとがある。企業横断的な労働組合の企業への浸透を排除するために、使用者側の主導で導入されたものがほとんどで、審議事項は作業能率や福利厚生が中心であり、使用者の諮問機関の域を出なかった。1930年代末から産業報国会体制に統合・吸収され消滅していった。
工場委員会は、労働者の自主的団結の組織である労働組合や、労働組合を一方の当事者とする団体交渉制度とは異なり、企業や事業所・工場単位の従業員代表制や労使協議制の一種とみることができる。この点では類似の組織や仕組みが第一次世界大戦中および戦間期に、イギリスでは政府のホイットレー委員会が推奨した工場委員会works committeeないし合同工場委員会joint works committeeとして、アメリカでは使用者側が導入した工場委員会shop committeeや工場協議会works councilなどの名称の機関を備えた従業員代表制度employee representation planとして、それぞれ存在した。日本の工場委員会は、これらのイギリスやアメリカの仕組みがモデルにされたともいわれる。
[浪江 巖]
『西成田豊著『近代日本労資関係史の研究』(1988・東京大学出版会)』▽『H・A・クレッグ著、牧野富夫・木暮雅夫・岩出博・山下幸司訳『イギリス労使関係制度の発展』(1988・ミネルヴァ書房)』▽『伊藤健市・関口定一編著『ニューディール労働政策と従業員代表制――現代アメリカ労使関係の歴史的前提』(2009・ミネルヴァ書房)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
ソ連邦の企業・工場における労働組合の初級機関。1917年の二月革命以後,ロシアの企業・工場で自然発生的に生じたもので,初期の工場委員会は労働組合とは別個に,企業の生産や人事といった経営機能への介入によって革命運動の一翼をにない,労働者の統制や管理を行った。十月革命の後,労働者統制機関は最高国民経済会議といった経済機関に吸収され,工場委員会そのものは労働組合の下部機関へと転化した。
執筆者:下斗米 伸夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…一つは,経済危機→資本家の生産サボタージュ・工場閉鎖→大量失業の発生→雇用確保のための生産管理・工場占拠→金融機関・原料生産部門・運輸通信部門への労働者管理の拡大と製品・利潤の労働者による統制→資本家階級による武装弾圧→工場占拠防衛のための労働者の武装→階級決戦・武装蜂起による国家権力奪取,という筋である。そしてもう一つは,工場委員会の結成→1工場1組合による単一産業別組合の強化,という筋である。前者の筋においては,〈生産管理〉は社会革命遂行のてことして評価されるのに対して,後者においては,〈生産管理〉は,労働争議において要求を実現し単一産業別組合を結成強化していくための争議戦術の一つとして評価されるにとどまる。…
… 日本の労使協議制の起源は1920年代,すなわち,戦前の労働組合運動の最初の本格的な生成期においてであった。当時の労働組合は,欧米で事業所レベルの工場委員会を設置する動きがあったこともあり,日本でも,労働協約を締結するとともに,労使の合同協議機関の設置を要求し,またある程度実現した。事業所レベルの労働組合組織の形成や協約の締結が困難であるため,とりあえず合同協議機関のみを設置した例も少なくはなかった。…
※「工場委員会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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