左右田喜一郎(読み)そうだきいちろう

精選版 日本国語大辞典 「左右田喜一郎」の意味・読み・例文・類語

そうだ‐きいちろう【左右田喜一郎】

経済哲学者。東京高商卒。貨幣価値論、経済哲学を研究、大正期文化主義思想全般にも影響を与えた。左右田銀行頭取、貴族院議員歴任著書「貨幣と価値」など。明治一四~昭和二年(一八八一‐一九二七

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デジタル大辞泉 「左右田喜一郎」の意味・読み・例文・類語

そうだ‐きいちろう〔サウだキイチラウ〕【左右田喜一郎】

[1881~1927]経済学者・実業家神奈川の生まれ。ドイツリッケルトらの影響を受けて、日本に経済哲学を紹介した。左右田銀行頭取・貴族院議員。著「貨幣と価値」「経済哲学の諸問題」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「左右田喜一郎」の意味・わかりやすい解説

左右田喜一郎
そうだきいちろう
(1881―1927)

経済哲学者。横浜に生まれる。東京高等商業学校(一橋(ひとつばし)大学の前身)で福田徳三に学び、1904年(明治37)卒業後、ただちにドイツに留学し、H・リッケルトを中心とする新カント派の強い影響下に経済学の哲学的基礎に深い関心を寄せた。1913年(大正2)帰国後、母校や京都帝国大学文学部で独自の経済哲学を講じ、その面で多くの著作を公刊した。研究・教職活動と並行して家業の左右田銀行頭取に就任したが、同銀行は昭和初頭の経済恐慌破産を余儀なくされた。

 左右田の経済哲学は、経済現象の意味としての経済的文化価値概念を中心に構成されており、彼は経済現象に他の社会現象とは異なった統一性を与え、経済学をして経済学たらしめているものは貨幣だとして、独自の貨幣論を展開した。主著には『貨幣と価値』(独文、1909)、『経済哲学の諸問題』(1917)、『文化価値と極限概念』(1922)などがある。

[早坂 忠 2016年9月16日]

『左右田博士記念会編『左右田喜一郎全集』全5巻(1930~1931・岩波書店)』


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改訂新版 世界大百科事典 「左右田喜一郎」の意味・わかりやすい解説

左右田喜一郎 (そうだきいちろう)
生没年:1881-1927(明治14-昭和2)

明治・大正期の経済哲学者。1904年東京高商(現,一橋大)専攻部卒業後ドイツに留学し,リッケルトに師事した。13年帰国。東京商大,京大の講師を務めた。新カント派の哲学に立って文化価値主義の経済哲学説を開き,《経済哲学の諸問題》(1917),《文化価値と極限概念》(1922)などを著した。父祖の業である左右田銀行を継ぐかたわら,横浜社会問題研究所を主宰し,黎明会に参加し,文化主義を唱道し,大正デモクラシー理念的支柱を与えた。25年貴族院議員に勅選される。昭和恐慌の勃発で左右田銀行の倒産にみまわれ,みずからも病を得て,27年その生涯を終える。左右田哲学は,短命に終わった大正デモクラシーの記念碑的役割を果たしている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「左右田喜一郎」の意味・わかりやすい解説

左右田喜一郎
そうだきいちろう

[生]1881.2.28. 横浜
[没]1927.8.11. 横浜
経済学者,哲学者。 1904年東京高等商業学校 (現一橋大学) 専攻部卒業後,イギリス,ドイツ,フランスに学び,08年主著『貨幣と価値』 Geld und Wert,Eine logische Studieを著わしテュービンゲン大学より博士号を取得,13年帰国。父業を継ぎ左右田銀行頭取となるかたわら,母校と京都大学の講師を兼任し,また横浜社会問題研究所を主宰。 25年貴族院議員となる。当初は貨幣価値論を専攻したが,のちに社会における客観的価値の探究という経済哲学に新生面を開拓。上記のほか『経済法則の論理性』 Die logische Natur der Wirtschaftsgesetze (1911) ,『経済哲学の諸問題』 (17) などがあり,著作のほとんどは『左右田喜一郎全集』 (5巻,30) に収録。

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朝日日本歴史人物事典 「左右田喜一郎」の解説

左右田喜一郎

没年:昭和2.8.14(1927)
生年:明治14.2.28(1881)
大正時代に活躍した経済学者。特に経済哲学という新風を巻き起こした。明治37(1904)年に東京高等商業学校(一橋大)専攻部を卒業してドイツに留学。大正2(1913)年帰国,東京商大や京大の講師を勤め,また横浜社会問題研究所を主宰した。新カント派哲学の立場から,歴史科学における「文化価値」の理念に対応して,経済学における「貨幣計算」の理念を主張。ただし先験的な規制理念と経験的な基礎概念との区別は必ずしも明瞭でなく,恩師福田徳三との間に論争があった。昭和恐慌の際,家業の左右田銀行が倒産。同時に自らも病を得て46歳で生涯を終えた。<著作>『経済哲学の諸問題』『文化価値と極限概念』

(山田雄三)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「左右田喜一郎」の解説

左右田喜一郎 そうだ-きいちろう

1881-1927 明治-大正時代の経済学者。
明治14年2月28日生まれ。37年渡欧し,新カント派のリッケルトらに師事。大正2年帰国。母校東京高商(現一橋大),京都帝大の講師をつとめ,文化価値主義にたつ経済哲学を提唱した。左右田銀行頭取,横浜社会問題研究所長。大正13年学士院賞。昭和2年8月11日死去。47歳。神奈川県出身。著作に「貨幣と価値」「文化価値と極限概念」など。

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百科事典マイペディア 「左右田喜一郎」の意味・わかりやすい解説

左右田喜一郎【そうだきいちろう】

経済哲学者。横浜出身。母校東京高商と京大の講師を兼任,また左右田銀行頭取。新カント派哲学の影響を受け,経済の意義は経済的文化価値の実現にあるとし,貨幣を価値の客観的標徴とみる経済哲学を展開。のち文化価値の体系を究明し個性創造の立場から社会主義を批判。主著《貨幣と価値》。

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世界大百科事典(旧版)内の左右田喜一郎の言及

【観念論】より

…ここに理想の追究ないし理念の実現を目ざす理想主義が近世の観念論の一つの型となり,フィヒテの倫理的観念論を代表とする。日本では左右田喜一郎と桑木厳翼とがカントとリッケルトの観念論を文化主義として継承した。【茅野 良男】
[インドの観念論]
 インド思想の一般的な特徴は,それが必ずなんらかの宗教体験の上に立って展開されているということであり,この点をはずしてそれが観念論か否かを問うのは危険である。…

【経済哲学】より

…またソシオ・エコノミックスといわれる研究も,経済行為の象徴論的解釈をめざすものであり,主観主義の経済哲学と深い関係をもちつつある。また,日本における左右田喜一郎(そうだきいちろう),杉村広蔵,本多謙三らによる経済哲学の試みも,この範疇(はんちゆう)と考えられる。 近代経済学が哲学とふれあう第2の局面は,いわゆる社会的厚生の問題をめぐってである。…

※「左右田喜一郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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