経済哲学(読み)けいざいてつがく

日本大百科全書(ニッポニカ) 「経済哲学」の意味・わかりやすい解説

経済哲学
けいざいてつがく

経済とは何か、経済生活は人間にとってどのような意味をもっているか、というような経済学の根底にあるものを究明する学問。経済生活の基本は、人間の衣食住を満たすことにある。しかし、経済問題の受け止め方は、時代によって異なっており、また、その国の歴史的条件や社会的状況によっても大きく異なっている。古くから哲学者や宗教家などによって、その思想の一環としてさまざまな経済観が示されてきた。しかし、それらは断片的なものであり、また、国家や都市、あるいは宗教などの見方からすると、経済は従属的なものとしてしか、とらえられていなかった。

 近代科学としての経済学が成立してからは、経済学と哲学とは相互にかかわり合いながら発展してきており、また、優れた経済学者はすべて経済哲学的思考を行っている。たとえば、古典派経済学の創始者アダム・スミスは、近代的合理主義と予定調和的楽観主義との総合が経済学の基礎であると考え、またスミスの経済学を学んだ19世紀初期の哲学者ヘーゲルは、市民社会を国家から分離して考察した。そして経済学者であり哲学者でもあったカールマルクスは、ヘーゲルの市民社会論を批判的に受け止め、近代社会の基礎構造は経済にあるとして、近代資本主義の運動法則を解明した。彼は、労働価値説を基礎に、資本主義経済の矛盾体系を根本的に解明することを経済哲学に求めた。

 一方、こうした古典的経済学の認識論とは違った経済哲学を探究した学者もいる。新カント派とくにH・リッケルトの影響を受けて、ドイツ観念論はこの立場から人生における経済生活を根元的に究明した。日本でこの立場から経済哲学を展開したのが左右田喜一郎(そうだきいちろう)である。彼は、経済哲学の内容を、経済学に特殊の認識論的根拠を与え(経済学認識論、経済学方法論)、経済生活の目的と意義を解明する(経済形而上(けいじじょう)学、経済本質論)ものとした。そして、経済学の基本概念を究明して、これを貨幣価値に求め、さらにその内面構造を明らかにし、経済本質論として位置づけた。左右田の後継者である杉村広蔵(こうぞう)は、ドイツの哲学者W・ディルタイの世界観学的方法によって経済諸学派の世界観的根底を分析し、それによって経済生活の根元的意味を総括した。彼は、左右田の経済哲学の理念を経済的実践論に求めて、独自の経済哲学をつくった。

 また、近代経済学においては、「最大多数の最大幸福」というベンサム的な視点に基づいて社会的厚生の問題を処理しようとしてきたが、効用の基準と個人との矛盾が生じるにつれて、改めて個人主義の立場から社会的厚生をどのように判断するかを解明せざるをえなくなってきている。M・ウェーバーは社会経済の本質を見抜き独自の理論を展開した。だが本質と現象と峻別(しゅんべつ)したため、市民社会を全体として主体的に把握できなかった。その点を克服すべく、現代経済学の基調は相対主義、内在主義に徹しようとする現代科学観にたった論理実証主義に向かった。

 20世紀後半の経済哲学は著しい経済成長のなかで、人間の生命の危機、とくに環境破壊にどのように対処するかが新たな課題となってきた。さらに1990年代のソ連・東欧の社会主義体制の崩壊に伴う世界市場化のなかで、市民社会のあり方、人間の生き方をどうするかが問われるようになった。それは現代資本主義の新しい諸課題である、地球環境の危機、国家間の格差、国内の所得格差、新たな貧困、民族紛争の危機をどのように克服するかを考えることが課題となったのである。かつてのような理論と現状分析の乖離(かいり)を克服し、現代資本主義の動体を正しく把握しつつ、人間の生き方を考えあわせることが重要である。現代の経済哲学は、現実の経済システムへの認識を深め、実証分析と理論分析ならびに政策分析の総合化が求められているといってよいであろう。さらに現代の経済哲学は、市民社会の本質を踏まえて経済学とヒューマニズムをどのように結び付けていくかが問われている。

[清水嘉治]

『左右田喜一郎著『経済哲学の諸問題』(1917・佐藤出版部/新版・1972・岩波書店)』『杉村広蔵著『経済哲学通論』改訂版(1944・理想社)』『梯明秀著『経済哲学原理』(1962・日本評論社)』『J・ロビンソン著、宮崎義一訳『経済学の考え方』(1966・岩波書店)』『R・フォセール著、河野健二・水島茂樹訳『21世紀の世界システム』(1996・岩波書店)』『L・C・サロー著、山岡洋一・仁平和夫訳『資本主義の未来』(1996・TBSブリタニカ)』『高島善哉著「マルクスとヴェーバー――人間、社会および認識の方法」(『高島善哉著作集』第7巻所収・1997・こぶし書房)』『M・ウェーバー著、富永祐治・立野保男訳『社会科学方法論』(岩波文庫)』『J・シュムペーター著、塩野谷祐一・中山伊知郎・東畑精一訳『経済発展の理論』上下(岩波文庫)』『都留重人著『科学的ヒューマニズムを求めて』(1998・新日本出版社)』

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改訂新版 世界大百科事典 「経済哲学」の意味・わかりやすい解説

経済哲学 (けいざいてつがく)

科学としての経済学を自認する近代経済学が哲学とふれあう第1の局面は,仮説演繹および仮説の検証をめぐる科学方法論に関してである。簡略にいえば,経済学の性格を自然科学のそれと類似のものにするための条件を探るのが経済哲学の主要な仕事になっている。その結果,K.R.ポッパー流の経験的反証可能性に関する議論が経済哲学の中心を占めており,理論仮説の前提をなす公理,公準あるいは基本的仮定に関する意味解釈は形而上学に属するとして退けられる傾向にある。しかし経済学は,その歴史をふりかえってみると,モラル・フィロソフィーつまり道徳哲学のうちに含まれていたのである。つまりそれは,自然の学と区別された意味での人間の学であり,J.ロックやD.ヒュームらの人性論や社会哲学を踏襲するものであった。主としてイギリスにおけるA.スミスからJ.S.ミルを経てJ.M.ケインズに至る経済学の系譜は,理論仮説の諸前提に関する人間学的および社会哲学的な解釈を陰に陽に含むものであったといえる。

 イギリスの道徳哲学にあっては,人間は知的および倫理的に不完全さを免れないのであるから,伝統・慣習に頼ってはじめて秩序ある社会生活を営みうるのだとする考え方が濃厚である。つまり人間の行為はモーレス(習俗)のうえに形成されるモラル(道徳)によって支えられているとする見方であり,経済哲学の主たる役割もそうした習俗や道徳を解釈する点にあった。このようないわば主観主義的な方向における経済哲学はオーストリア学派の流れにもみることができる。たとえば,その現代における代表者ともいうべきF.A.vonハイエクは,人間の意識的もしくは反省的な行為を扱うものとしての主観主義の社会科学を唱えることを通じて,経済学の自然科学化を厳しく批判している。またソシオ・エコノミックスといわれる研究も,経済行為の象徴論的解釈をめざすものであり,主観主義の経済哲学と深い関係をもちつつある。また,日本における左右田喜一郎(そうだきいちろう),杉村広蔵,本多謙三らによる経済哲学の試みも,この範疇(はんちゆう)と考えられる。

 近代経済学が哲学とふれあう第2の局面は,いわゆる社会的厚生の問題をめぐってである。近代経済学は,元来,〈最大多数の最大幸福〉というベンサム的な視点にもとづいて社会的厚生の問題を処理しようとしてきたが,効用の量的測定と個人間比較とが疑われるにつれ,功利主義の社会観から離れざるをえなくなってきた。個人主義的な原理に立脚しながら社会的厚生を判断するための基準を導くことが可能かどうかをめぐって,種々の仮説が検討されてきた。J.R.ヒックスやN.カルドアによるいわゆる新厚生経済学,K.アローやA.センによる社会的選択理論あるいはJ.ロールズによる社会契約の理論などがそれである。総じていえば,個人主義の前提に立つかぎり,諸個人のあいだの同質性をなんらかのかたちで仮定するのでなければ,社会的厚生の判断基準を組み立てるのは困難である。しかし,こうした仮定を持ち込むことは,近代経済学の依拠している個人主義の原理そのものと抵触するおそれなしとしない。つまり経済哲学は,個人および社会に関する認識論において,原理的な難問に逢着しているといえる。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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