日本大百科全書(ニッポニカ) 「市川浩」の意味・わかりやすい解説
市川浩
いちかわひろし
(1931―2002)
哲学者。京都に生まれる。京都大学文学部を卒業後、1954年(昭和29)毎日新聞社に入社、大阪本社に勤務。4年間の記者生活ののち、東京大学大学院に入学、同人文科学研究科比較文学・比較文化課程修了。東邦大学助教授などを経て、1972年明治大学商学部教授(~1999年)。
哲学者としては比較的スタートの遅かった市川が、最初に注目されたのは、『岩波講座 哲学』第3巻に発表した論文「精神としての身体と身体としての精神」(1968)においてだった。デカルト以来、西洋哲学では心身二元論が主流だった。精神(心)と身体を別のものととらえ、身体は精神によって支配されるものとしたのだ。この考え方に立てば、精神について研究しさえすれば、人間を理解できることになる。しかし、心身二元論で人間を理解することなどできない、という立場もある。その一つが、「生の哲学」である。「生の哲学」はショーペンハウアーにはじまり、ニーチェやベルクソンに至る。市川はこの「生の哲学」の流れをくむ哲学者である。
市川のアイディアの根底には、ポール・バレリーの身体観がある。バレリーは身体を「錯綜体」としてとらえた。「錯綜体」とは、身体は自己のものでありながら自己のものでなく(たとえば、私は私の顔を見ることができない)、しかしもちろん他者のものではない。また、他者のものである(他人からは見ることができる)と同時に、自己のものでもある。こうした主客が錯綜するものとしてバレリーは身体をとらえた。そこから市川はメルロ・ポンティの現象学的方法を使って、身体を主体としての身体(自分の身体)、客体としての身体(他人の身体)の2相、さらに自己にとっての対他的身体(他者に認識される自分の身体)と他者の身体の2相をくわえ、これらの機能を同時にもった「錯綜体」としてとらえた。しかもこの身体は固定された不変のものではなく、日々刻々と変化を続けるまさに生命体である。市川は身体を「現象」「構造」「行動」の三つの視点から分析した。
1975年、前掲論文をもとにした『精神としての身体』を刊行。同書で第3回哲学奨励山崎賞を受賞する。ちなみに、山崎賞とは山崎正一(やまざきまさかず)(1912―1997)が東京大学を退官する際、その退職金をもとに創設された賞であるが、市川は『新・哲学入門』(1968)と『現代哲学事典』(1970)を山崎と共同で編集・執筆している。新書版という廉価でコンパクトな体裁で上梓(じょうし)されたこの2冊は、全共闘運動や70年安保闘争の渦中にあった若者にとって、座右の書ならぬポケットのなかの1冊だった。
『精神としての身体』以降は独自の身体論を展開していった。なかでもよく知られているのが「身(み)分け」という概念である。これは世界の視覚的了解(あるいは視覚による世界の分節化)である「見分け」や、言語(意味)による了解(分節化)である「言(こと)分け」とは別の、身体による世界の了解や分節化である。ここで身体は世界を測るメジャーであると同時に、世界を知覚する感覚器でもある。
その後『〈身〉の構造』(1985)および『〈中間者〉の哲学』(1990)では、この世界と自己の接点にある自己としての身体についての考察を深めた。一方、身体論をベースにして現代芸術やダンスパフォーマンスに関する批評も行った。
[永江 朗 2016年8月19日]
『市川浩・山崎賞選考委員会編『身体の現象学』(1977・河出書房新社)』▽『市川浩著『現代芸術の地平』(1985・岩波書店)』▽『市川浩著『〈私さがし〉と〈世界さがし〉』(1989・岩波書店)』▽『『〈中間者〉の哲学』(1990・岩波書店)』▽『『精神としての身体』『〈身〉の構造』『ベルクソン』(以上講談社学術文庫)』▽『山崎正一・市川浩編『新・哲学入門』『現代哲学事典』(以上講談社現代新書)』▽『市川浩著、中村雄二郎編『身体論集成』(岩波現代文庫)』