北海道中南部にある市。十勝総合振興局(とかちそうごうしんこうきょく)所在地。1933年(昭和8)市制施行。1957年(昭和32)川西、大正の2村を編入。市名はアイヌ語「オペレペレケプ」(川尻(かわじり)の分かれた川の意)に基づく。市域の大部分を占める平坦(へいたん)な台地の標高は50~250メートル、南西部の日高山地では500~1960メートルに達する。JR根室(ねむろ)本線、北海道横断(道東)自動車道、国道38号、236号、241号が通じ、とかち帯広空港で東京とも結ばれる。
1883年(明治16)静岡県の晩成社(ばんせいしゃ)移民団13戸が入植。1896年市街地区画が設けられてから、十勝平野の開拓に伴って、農業地域の行政・経済中心地に発展した。1897年河西支庁(かさいしちょう)(のち十勝支庁、現、十勝総合振興局)が開設。1905年(明治38)釧路(くしろ)―帯広間、1907年旭川(あさひかわ)―帯広間の鉄道が開通した。直交道路、斜交道路を組み合わせた碁盤目状街区をもつ中心市街地は、札内(さつない)川との合流点に近い十勝川右岸に立地。十勝総合振興局管内全域を商圏とする商業のほか、食品、飼料、木材、木製品、印刷などの軽工業や電気機器工業が発達する。陸上自衛隊基地、帯広畜産大学がある。農村部ではインゲンマメ、大豆、アズキ、小麦、サトウダイコン、ナガイモ、ジャガイモなどの畑作と酪農が盛んである。観光・文化施設としては、総合運動施設などを備えた帯広の森のほか、八千代牧場、北海道立帯広美術館、帯広百年記念館などがある。面積619.34平方キロメートル、人口16万6536(2020)。
[古川史郎]
『『新帯広市史』(1976・帯広市)』
北海道南東部にある市。1933年市制。人口16万8057(2010)。十勝平野の中央に中心市街があり,十勝支庁の所在地である。中心市街の位置は札内川と十勝川の合流点に近く,市域は遠く南西方にのびて日高山脈山嶺線に至っている。開拓は1883年依田勉三のひきいる静岡県の晩成社移民団の入植に始まる。1907年の旭川~帯広間の鉄道開通で十勝平野の開拓が進み,碁盤目状に一部でさらにX状を加えるという珍しい町割りが作られ,十勝の中心地,とくに農産物集散地としての地歩を固めた。第2次世界大戦後は十勝平野一円の流通サービスの拠点としての機能が高まっている。川西,大正は農業地帯で豆類,ビート,ジャガイモの産が多く,乳牛飼養も増加している。南西部には41年公立としては初めての帯広高等獣医学校として創立された帯広畜産大学,製糖工場があり,西帯広には緑の工業団地と呼ばれる帯広工業団地・物流団地があって,市街地が森林公園で囲まれている。市の南西部にあった帯広空港は,81年南東部に移転した。JR根室本線が通る。
執筆者:岡本 次郎
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