常勝軍(読み)ジョウショウグン

デジタル大辞泉 「常勝軍」の意味・読み・例文・類語

じょうしょう‐ぐん〔ジヤウシヨウ‐〕【常勝軍】

戦うごとに勝つ軍隊
中国で、太平天国の乱を鎮圧するため、1860年に米国人ウォードが編成した、外国人と中国人との混成義勇軍。英国人ゴードン指揮で、乱の鎮圧に大きく貢献した。1864年、解散

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精選版 日本国語大辞典 「常勝軍」の意味・読み・例文・類語

じょうしょう‐ぐんジャウショウ‥【常勝軍】

  1. [ 1 ] 戦うごとに、常に勝ち続ける軍。
  2. [ 2 ] 中国、清代、太平天国の乱を鎮圧する際に活躍した、外国人と中国人との混成義勇軍。アメリカ人フレデリック=ウォードが上海組織訓練した軍隊で、一八六三年イギリスの将校ゴルドンが指揮官となって、江浙各地の太平天国軍を撃破翌年解散し、一部李鴻章の淮(わい)軍に編入された。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「常勝軍」の意味・わかりやすい解説

常勝軍
じょうしょうぐん

中国、太平天国軍と戦うために上海(シャンハイ)で組織された、欧米人を指揮官とする外国人と中国人の混成義勇軍。1860年、アメリカのウォードが、清(しん)の地方官呉煦(ごく)や大商人楊坊の承認・資金援助を受けて外国人を徴募して組織した洋槍隊(洋銃隊の意)に始まる。のち、中国人を兵士として徴募・訓練し、約4500人に拡大、上海周辺一帯で太平天国軍と戦い、62年3月常勝軍と改名した。同年9月にウォードが戦死すると、アメリカ人バージェビンH. A. Burgevineが指揮をとった。しかし彼が給料問題で衝突して罷免されると、63年3月イギリスの現役少佐ゴードンが指揮官となり、常勝軍はイギリスの対中国政策の執行者としての性格をもつに至った。優越した装備によって各地で太平天国軍を撃破したが、南京(ナンキン)陥落直前に昆山(こんざん)で解散し、一部は淮軍(わいぐん)に組み込まれた。ほかにフランスが1862年寧波(ニンポー)で組織した同性格の常捷軍(じょうしょうぐん)がある。

[小島晋治]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「常勝軍」の解説

常勝軍(じょうしょうぐん)

清末に太平天国討伐に活躍した外国人将校指揮の特殊部隊。1860年6月,太平天国軍が上海に迫った際,アメリカ人ウォードが上海商人の要請によって200人の外国人部隊を編成して太平天国を撃退した。この部隊を解散したのち,ウォードは61年8月,松江で中国人1000人を募集訓練して上海周辺の防衛に活躍し,常勝軍の名を得た。62年9月,ウォードが戦死したため,アメリカ人バージェヴィンが代わって指揮官になったが,翌年1月に解任された。イギリス陸軍少佐ゴードンが指揮官となり,3000の部隊を率いて江蘇の各地に転戦し,太平天国平定に大きな役割を果たした。64年5月解散した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「常勝軍」の意味・わかりやすい解説

常勝軍
じょうしょうぐん
Chang-sheng-jun; Ch`ang-shêng-chün

中国において西洋人に指揮され,西洋式装備をもって太平天国の鎮圧に従事した傭兵部隊。咸豊 10 (1860) 年,太平天国の揚子江下流域進出に対抗して,上海商人の出資でアメリカ人 T.ウォードが編成した外人部隊が前身。のち中国人兵士で編成され,上海防衛,蘇州回復などにあたり,同治1 (62) 年,常勝軍の名を得,兵力も約 5000人となった。ウォードの死後,アメリカ人 H.A.バージュバインを経て,同2年イギリス人 C.ゴードン少佐が指揮をとった。南京 (天京) 陥落が間近い同3年5月に解散された。

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百科事典マイペディア 「常勝軍」の意味・わかりやすい解説

常勝軍【じょうしょうぐん】

中国,清末の太平天国平定のため外国人が指揮者となって編制した義勇軍の称。1860年太平軍が上海に接近した際,米人ウォードが外人部隊を編制しこれを阻止したことに始まる。1861年彼は松江で新たに中国人1000人からなる義勇軍を編制し活躍,常勝軍と呼ばれた。1862年彼の戦死により翌年英人ゴードンが指揮。1864年太平軍平定により解散。

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旺文社世界史事典 三訂版 「常勝軍」の解説

常勝軍
じょうしょうぐん

清末期,太平天国軍鎮圧のために,英米人を将校とし,洋式に訓練武装された義勇軍
1862年清朝からこの名を与えられた。アメリカの冒険家ウォードが太平天国軍から松江 (しようこう) を奪還するため,1860年に外国人船員約200名で組織した洋槍隊に始まった。のち中国人を兵士とし,列強の支持をうけて,1862年松江・上海付近で太平天国軍を撃退。ウォードの戦死後,1863年イギリス将校ゴードンの指揮下にはいり,すぐれた装備によって各地で太平天国軍を破り,64年解散した。

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世界大百科事典(旧版)内の常勝軍の言及

【太平天国】より

…また,この対外抵抗は,イギリス,フランスの幕末日本への軍事的圧力をゆるめ,その対日政策にも影響を与えた。列強の軍事援助を受けた淮軍とイギリスの将校ゴードンを司令官とする義勇軍(常勝軍)の連合軍によって,太平軍はその最後の地盤,江浙地方をも失い,1864年6月,洪秀全は病死し,その20日後に天京が陥落して,太平天国は滅亡した。
[歴史的意義]
 敗北したとはいえ,この運動は近代以前の世界史上のいかなる民衆反乱もつくり得なかった高度に統一された組織と,多数の女性を含む独自の軍隊をつくって,十数年にわたって内部の封建勢力,ならびに新来の外国資本主義勢力に対して戦いつづけた。…

※「常勝軍」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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