中国、太平天国軍と戦うために上海(シャンハイ)で組織された、欧米人を指揮官とする外国人と中国人の混成義勇軍。1860年、アメリカのウォードが、清(しん)の地方官呉煦(ごく)や大商人楊坊の承認・資金援助を受けて外国人を徴募して組織した洋槍隊(洋銃隊の意)に始まる。のち、中国人を兵士として徴募・訓練し、約4500人に拡大、上海周辺一帯で太平天国軍と戦い、62年3月常勝軍と改名した。同年9月にウォードが戦死すると、アメリカ人バージェビンH. A. Burgevineが指揮をとった。しかし彼が給料問題で衝突して罷免されると、63年3月イギリスの現役少佐ゴードンが指揮官となり、常勝軍はイギリスの対中国政策の執行者としての性格をもつに至った。優越した装備によって各地で太平天国軍を撃破したが、南京(ナンキン)陥落直前に昆山(こんざん)で解散し、一部は淮軍(わいぐん)に組み込まれた。ほかにフランスが1862年寧波(ニンポー)で組織した同性格の常捷軍(じょうしょうぐん)がある。
[小島晋治]
清末に太平天国討伐に活躍した外国人将校指揮の特殊部隊。1860年6月,太平天国軍が上海に迫った際,アメリカ人ウォードが上海商人の要請によって200人の外国人部隊を編成して太平天国を撃退した。この部隊を解散したのち,ウォードは61年8月,松江で中国人1000人を募集訓練して上海周辺の防衛に活躍し,常勝軍の名を得た。62年9月,ウォードが戦死したため,アメリカ人バージェヴィンが代わって指揮官になったが,翌年1月に解任された。イギリス陸軍少佐ゴードンが指揮官となり,3000の部隊を率いて江蘇の各地に転戦し,太平天国平定に大きな役割を果たした。64年5月解散した。
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…また,この対外抵抗は,イギリス,フランスの幕末日本への軍事的圧力をゆるめ,その対日政策にも影響を与えた。列強の軍事援助を受けた淮軍とイギリスの将校ゴードンを司令官とする義勇軍(常勝軍)の連合軍によって,太平軍はその最後の地盤,江浙地方をも失い,1864年6月,洪秀全は病死し,その20日後に天京が陥落して,太平天国は滅亡した。
[歴史的意義]
敗北したとはいえ,この運動は近代以前の世界史上のいかなる民衆反乱もつくり得なかった高度に統一された組織と,多数の女性を含む独自の軍隊をつくって,十数年にわたって内部の封建勢力,ならびに新来の外国資本主義勢力に対して戦いつづけた。…
※「常勝軍」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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