平盛時(読み)たいらのもりとき

朝日日本歴史人物事典 「平盛時」の解説

平盛時

生年生没年不詳
鎌倉初期の幕府吏僚。養和1(1181)年近衛基実の娘通子の侍始に所司として名がみえるが,その後鎌倉に下向,元暦1(1184)年には問注所に候じている。政所にも伺候して実務に携わるが,もっぱら源頼朝の右筆として重用された。特に文治・建久年間(1185~99)に活躍,頼朝御教書の奉者として頻出する。訴訟奉行も担当し,裁許の奉書も多い。頼朝の信任を得,頼朝書状のうち大江広元と盛時の手跡になるものには頼朝の判を加えないこと,さらに頼朝多忙の際には頼朝の判に代え広元もしくは盛時の判で代用することが示されている。頼朝死後,頼家,実朝の政所にも候じているが,目立った活動はみられない。

(奥田環)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「平盛時」の解説

平盛時(2) たいらの-もりとき

?-1204 鎌倉時代武将
伊賀(いが)(三重県)の人。元久元年平基度(もとのり)ら伊勢(いせ)・伊賀の平氏一族とともに鎌倉幕府に対して兵をあげる。両国の守護山内首藤経俊(やまのうちすどう-つねとし)をおそって逃亡させたが,追討軍の平賀朝雅(ともまさ)に討たれた(三日平氏の乱)。元久元年4月死去。通称は雅楽助三郎。

平盛時(3) たいらの-もりとき

?-? 鎌倉時代の武士
北条氏につかえる。寛元2年(1244)将軍九条頼経(よりつね)の辞職をつたえる使者として京都にいき,九条頼嗣(よりつぐ)を将軍とする宣旨をえて鎌倉にかえった。4年陸奥糠部(ぬかのぶ)郡(青森県)五戸(ごのへ)の地頭代となった。通称は左衛門三郎,のち新左衛門尉,三郎左衛門尉。

平盛時(1) たいらの-もりとき

?-? 鎌倉時代の幕府官僚。
元暦(げんりゃく)元年(1184)から問注所の業務にあたり,三善康信を補佐。政所(まんどころ)にもつとめ,源頼朝の右筆(ゆうひつ)として大江広元についで重用され,とくに京都の公家(くげ)に対する書状を担当した。通称は平五。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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