精選版 日本国語大辞典 「問注所」の意味・読み・例文・類語
もんちゅう‐じょ【問注所】
もんじゅう‐しょ モンヂュウ‥【問注所】
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
鎌倉・室町幕府の政務機関。鎌倉幕府では1184年(寿永3)10月創設。長官を執事とよび、初代の執事には京都から下った公家(くげ)で事務能力に長じた三善康信(みよしやすのぶ)が任ぜられた。執事のもとに寄人(よりゅうど)とよばれる職員がおり、関東の訴訟一般を取り扱った。1249年(建長1)引付(ひきつけ)衆が置かれると、所領の相論を扱う所務沙汰(しょむざた)は引付の管轄に移され、動産物権・債権などを扱う雑務沙汰のみが残された。三善氏の子孫である町野氏、太田氏が執事を世襲した。
室町幕府においては1336年(建武3・延元1)中に設置されたものと考えられる。執事には前代に引き続いて町野・太田両氏が任ぜられた。裁判機能は比較的早い時期に失われ、ただ古今の記録を保管する機能のみ残った。鎌倉幕府以来の由緒ある機関であったので執事家の格式は高かったが、実務面では文書の真偽を判定する程度の権限しかなかった。
[桑山浩然]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
鎌倉・室町両幕府の機関。(1)鎌倉幕府では,訴訟当事者の審問と記録を行う場として設置された。当初は審問の記録を将軍に上申したが,3代将軍源実朝の頃には判決草案である問注所勘状(かんじょう)を作成するようになり,政所(まんどころ)と並ぶ鎌倉幕府の二大訴訟処理機関として機能した。1249年(建長元)引付の設置により御家人訴訟は移管されたが,東国の雑務沙汰が管轄となり幕府滅亡まで続く。所務賦(しょむくばり)などの訴訟受理機関も問注所内におかれた。(2)室町幕府では,しだいに訴訟処理より文書記録の保存管理がおもな機能となり,中期以降は訴訟処理機関としての機能を停止し,文書記録を保持する執事(しつじ)家の当主の呼称として用いられた。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…御家人の指揮や検断(警察裁判)を担当した侍所では,鎌倉幕府においては長官たる別当の腹心として事実上指揮・検断権を行使したのが頭人で,室町幕府においては別当が置かれなかったため,頭人が長官として侍所を管轄した。将軍の家政機関としての政所や文書・記録の保管にかかわる問注所の執事は,室町幕府では頭人とも呼ばれ,長官として政所を管轄している。室町幕府ではこのほかに,禅律僧の管轄を担当する禅律方,京都の土地管轄に当たった地方,伊勢神宮の修造にかかわった神宮方等,方の字のつく機構が多く設けられたが,それらの機構の長官はおしなべて頭人と呼ばれており,それに所属する奉行人,寄人を統轄していた。…
…鎌倉幕府初代の問注所執事。1162年(応保2)に右少史となり,次いで中宮属,翌年五位となり史を退く。…
※「問注所」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
9/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新