鎌倉・室町幕府の訴訟機関。1184年(元暦1)に公文所(のち政所)に次いで設置。長官の執事は三善康信(善信)が任じられて以来,その子孫の町野,太田両氏が継承,その配下に問注所寄人などの奉行人が属していた。訴訟親裁が行われた源頼朝期には訴論を記録する書記官的な性格が強かったが,その後権限を拡大し,訴訟文書の審理,訴論人の召喚・対決,訴訟記録の作成など,政所とともに刑事事件を除く一般訴訟の機関となった。政所との権限関係は,非御家人および雑人の訴訟では訴訟当事者の居住地を基準に,鎌倉中を政所,諸国を問注所に分け,御家人の訴訟は一律に問注所所管であったと推察されている。しかし六波羅探題が設置されると西国の訴訟はそこに移管され,また雑人訴訟が国別に置かれた雑人奉行にゆだねられたこともある。そして1249年(建長1)に引付が設置されると,幕府として重要な御家人のかかわる訴訟は引付の所管となる。さらに鎌倉末期遅くも文永年間(1264-75)には,幕府の訴訟制度が身分制に立脚する区分から訴訟対象を基準とするものに転換され,検断沙汰を扱う侍所,所務沙汰を扱う引付に対し,問注所は鎌倉を除く東国の雑務沙汰機関となった。雑務沙汰とは,《沙汰未練書》に〈利銭,出挙,替銭,替米,年記,諸負物,諸借物,諸預物,放券,沽却田畠,奴婢,雑人,勾引以下〉とみえるように,土地財産権の移転事実の認定を目的とし,あるいは土地以外の一般財産権に関して提起された訴訟であり,沽却地安堵も問注所の権限に属していた。なお問注所には全般的な訴訟受理の機能があり,所務沙汰も問注所管下の所務賦(くばり)の奉行によって,特定の引付に賦り分けられた。
室町幕府は鎌倉幕府の例に倣って問注所をおき,執事には町野,太田および二階堂氏をあてた。その権限は,14世紀末ごろに成立したと考えられる《庭訓往来》に,〈問注所者,永代沽券安堵,年記放券,奴婢雑人券契,和与状,負累証文等,謀実糺明之〉とあり,基本的には旧幕府を継承していた。しかししだいに機能を縮小し,《武政軌範》問注所沙汰編によると,問注所は〈武家の記録所〉として記録・証券を保管し,文書の過誤や真偽を調べる機関となり,内談(内評定)も〈近代中絶〉と記されている。ここには領国支配の自立化と政所の機能拡大の影響がみられるが,同時に前代には執事が半ば私的に行っていた記録保存が幕府の公的業務となったことを意味し,保存の記録類が積極的に証拠資料として利用されるようになる当代の実情と対応している。
執筆者:福田 豊彦
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鎌倉・室町幕府の政務機関。鎌倉幕府では1184年(寿永3)10月創設。長官を執事とよび、初代の執事には京都から下った公家(くげ)で事務能力に長じた三善康信(みよしやすのぶ)が任ぜられた。執事のもとに寄人(よりゅうど)とよばれる職員がおり、関東の訴訟一般を取り扱った。1249年(建長1)引付(ひきつけ)衆が置かれると、所領の相論を扱う所務沙汰(しょむざた)は引付の管轄に移され、動産物権・債権などを扱う雑務沙汰のみが残された。三善氏の子孫である町野氏、太田氏が執事を世襲した。
室町幕府においては1336年(建武3・延元1)中に設置されたものと考えられる。執事には前代に引き続いて町野・太田両氏が任ぜられた。裁判機能は比較的早い時期に失われ、ただ古今の記録を保管する機能のみ残った。鎌倉幕府以来の由緒ある機関であったので執事家の格式は高かったが、実務面では文書の真偽を判定する程度の権限しかなかった。
[桑山浩然]
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鎌倉・室町両幕府の機関。(1)鎌倉幕府では,訴訟当事者の審問と記録を行う場として設置された。当初は審問の記録を将軍に上申したが,3代将軍源実朝の頃には判決草案である問注所勘状(かんじょう)を作成するようになり,政所(まんどころ)と並ぶ鎌倉幕府の二大訴訟処理機関として機能した。1249年(建長元)引付の設置により御家人訴訟は移管されたが,東国の雑務沙汰が管轄となり幕府滅亡まで続く。所務賦(しょむくばり)などの訴訟受理機関も問注所内におかれた。(2)室町幕府では,しだいに訴訟処理より文書記録の保存管理がおもな機能となり,中期以降は訴訟処理機関としての機能を停止し,文書記録を保持する執事(しつじ)家の当主の呼称として用いられた。
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…御家人の指揮や検断(警察裁判)を担当した侍所では,鎌倉幕府においては長官たる別当の腹心として事実上指揮・検断権を行使したのが頭人で,室町幕府においては別当が置かれなかったため,頭人が長官として侍所を管轄した。将軍の家政機関としての政所や文書・記録の保管にかかわる問注所の執事は,室町幕府では頭人とも呼ばれ,長官として政所を管轄している。室町幕府ではこのほかに,禅律僧の管轄を担当する禅律方,京都の土地管轄に当たった地方,伊勢神宮の修造にかかわった神宮方等,方の字のつく機構が多く設けられたが,それらの機構の長官はおしなべて頭人と呼ばれており,それに所属する奉行人,寄人を統轄していた。…
…鎌倉幕府初代の問注所執事。1162年(応保2)に右少史となり,次いで中宮属,翌年五位となり史を退く。…
※「問注所」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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