平安朝の歌人。右近衛中将好風の長男。定文とも記す。父は桓武天皇の皇子仲野親王の孫。874年(貞観16)父とともに臣籍に下り平姓を賜る。内舎人(うどねり),右馬権少允,右兵衛少尉,参河介,侍従,右馬助,左兵衛佐を歴任し,従五位上に至る。905年(延喜5),906年に両度の歌合を催し,勅撰集には26首の和歌が選ばれた。中古歌仙36人の中にも数えられて,おそらくその家集を本として貞文の子孫が著した《平中(へいちゆう)物語》に取り込まれた99首の自詠(長歌1首,連歌2首を含む)その他を合わせて114首の和歌を残す歌人であるが,より有名なのは業平の〈在中〉と並んで世の好色者(すきもの)と評判される伝説中の人物〈平中〉である。《源氏物語》の〈末摘花〉の巻にも早く〈平中墨塗譚〉が取り上げられ,《今昔物語集》の〈平中樋洗(ひすまし)譚〉から《宇治拾遺物語》《十訓抄》《古本説話集》《藐姑射秘言(はこやのひめごと)》《しみのすみか物語》《大東閨語》,さらに近代の芥川竜之介の《好色》,谷崎潤一郎の《少将滋幹の母》に至るまで,平中好色滑稽譚は数多いが,貞文その人はきわめて気が弱く父母に従順,女性に永遠のあこがれを抱く純情な性格の持主であった。すべては,叔母が宇多天皇の母班子女王で,その中宮亮(のちには皇太后宮亮)を務めるわがままな立場から,放埒無慚な好色ぶりを発揮し,紀長谷雄の《昌泰元年歳次戊午十月廿日競狩記》に,つぶさに行状の記録されている父好風の評判を,一人息子の貞文がすっかりひきかぶったまでである。
執筆者:萩谷 朴
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(青木賜鶴子)
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…平安朝の歌物語。《平中日記》《貞文日記》ともいうように,平貞文の家集を本として,実録風の歌物語を創作したもの。148首の短歌,2首の連歌,1首の長歌を含む38段の和歌的小話に区分されるが,最終段に付記した富小路の右大臣顕忠の母に関する3首の短歌を持つ和歌的小話の叙述表現よりして,この付記が959年(天徳3)以後,965年(康保2)以前になされた事実が確かめられるので,物語自体の成立はそれ以前と考えられる。…
※「平貞文」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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