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相応 そうおう samprayukta

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

相応
そうおう
samprayukta

仏教用語。法と法とが互いに相かない,ともに離れないこと。特に仏教では,心と心所との関係についていう場合が多い。

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デジタル大辞泉の解説

そう‐おう〔サウ‐〕【相応】

[名・形動](スル)
つりあいがとれていること。ふさわしいこと。また、そのさま。「収入相応な(の)暮らし」「能力に相応した働き」
仏語。心と、心の働きとが互いに結びついていること。また、心と対象世界との結合、因と果との結合、身・口・意の三業(さんごう)の結合などにもいう。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

相応 そうおう

831-918 平安時代前期-中期の僧。
天長8年生まれ。天台宗。比叡(ひえい)山の円仁(えんにん)にまなぶ。12年間の籠山(ろうざん)修行をし,加持祈祷(きとう)にすぐれ皇室の信任をえた。不動明王を尊信し,貞観(じょうがん)7年比叡山無動寺をひらく。比叡山回峰行の祖とされる。延喜(えんぎ)18年11月3日死去。88歳。近江(おうみ)(滋賀県)出身。俗姓は櫟井(いちい)。通称は建立大師

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朝日日本歴史人物事典の解説

相応

没年:延喜18.11.3(918.12.8)
生年:天長8(831)
平安前期の天台宗の僧。天台修験の開祖。姓は櫟氏。近江国(滋賀県)浅井郡に生まれる。承和12(845)年15歳で比叡山に登り,毎日修行のかたわら中堂に花を供えていたのを円仁に認められ,17歳のとき円仁を師として得度受戒し,相応の名を授けられ,12年籠山修行した。天安2(858)年,文徳天皇の女御多賀幾子(藤原良相の娘)の病を祈って霊験を称されている。翌貞観1(859)年以降,比良山安曇川の上流葛川,吉野金峰山で修行し,同5年比叡山で等身の不動明王像を造り,同7年無動寺を建立し本尊として安置した。文徳天皇皇后明子(染殿皇后,藤原良房の娘)を慕った聖人が死後,天狗となってとりついたため,加持をして霊験を称された話がある。比叡山の興隆にも力を尽くし,東塔常行堂の修復,日吉社の造営を行い,また同年には朝廷に願い出て最澄に伝教,円仁に慈覚の大師号を賜っている。寛平1(889)年,宇多天皇加持の功により度者を賜い内供奉となり,延喜11(911)年,公私の公請(朝廷から法会や講義に召されること)を断って不断念仏を修し,88歳で没した。生涯女人裁縫の衣を着ず,絹を身に着けず,牛馬に乗らなかった。葛川明王院は相応が比良山で生身の不動明王を感得し,姿を刻して本尊としたと伝え,比叡山千日回峰行は相応を祖として,現在も相応の故事によって行われている。<参考文献>『天台南山無動寺建立和尚伝』

(西口順子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

そうおう【相応】

831‐918(天長8‐延喜18)
平安前期の天台宗の僧。近江国(滋賀県)浅井郡の生れ。俗姓は櫟井(いちい)氏。15歳のとき鎮操(ちんぞう)に従って比叡山に登り,17歳で沙弥(しやみ)となる。855年(斉衡2)円仁(えんにん)について得度受戒し,12年の籠山(ろうざん)修行に入った。858年(天安2)西三条女御(にようご)(藤原良相(よしみ)の娘)についた霊気をはらい,呪験力をもって有名になった。こののち,比良山,金峰山において修行し,863年(貞観5)には等身大の不動明王の像をつくり,865年これを安置する無動寺を建立した。

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大辞林 第三版の解説

そうおう【相応】

( 名 ・形動 ) スル [文] ナリ 
ふさわしいこと。つりあっていること。また、そのさま。 「身分-な家」 「能力に-した学校を選ぶ」 「 -に暮らす」
〘仏〙 複数の事柄が親しく和合していたり、統一されていたりすること。
( 形動タリ )
に同じ。 「ただ浮船・松風村雨などやうの能に-たらんを、無上の物と知るべし/申楽談儀」

ふさい【相応】

〔動詞「ふさう(相応)」の連用形から〕
釣り合うこと。ふさわしいこと。 「宮は、御-の方に、聞き伝へ給ひて/源氏 紅梅

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世界大百科事典内の相応の言及

【飛鉢譚】より

…護法は,霊山における古層の神が新米の聖の使霊と化したのでもあり,陰陽道の識神とも重なり,飛鉢譚が仏教の枠を超えた独自な宗教世界の話であることを具体的にあらわす存在といえよう。比良山と琵琶湖をめぐる飛鉢の伝統は中世を通じて続き,伊崎寺には無動寺の相応和尚の飛鉢譚とその祭儀化である竿飛び(さおとび)を伝え,対岸の白鬚(しらひげ)神社にも飛鉢譚と〈神通飛行の鉄鉢〉を残す。ともに叡山の勧進所であった。…

【日吉大社】より

…注目すべきは,日吉造と称される本殿形式であり,東西両本宮と宇佐宮本殿に採用されている。日吉造は正面3間,側間2間の母屋(もや)の正面と両側面の3方に庇を付加した形で,母屋の2面に庇をもつ形式(厳島神社など),四面庇の形式(北野天満宮,八坂神社など)に発展する中途の段階の形を固定化したものと考えられ,その起源は天台宗の僧相応(831‐918)が887年(仁和3)に東本宮を造立し,890年(寛平2)に西本宮を同じ形に改造したときにさかのぼる。また上部に山形をつけた山王鳥居は,他の社にみられない特異なものである。…

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