日本歴史地名大系 「桜井郷」の解説
桜井郷
さくらいごう
千里丘陵北部より南西に流れる
当郷の動きをみると、鎌倉期では、弘安二年(一二七九)一一月に、右馬寮御牧の沙汰人六郎左衛門尉が乱入して末社の神殿を犯穢し、白人神人を刃傷したので、春日社家は犯人の処分と縁者らの清祓を本所近衛家に要求している(「中臣祐賢記」同月二九日条)。
桜井郷
さくらいごう
桜井郷
さくらいごう
桜井郷
さくらいごう
桜井郷
さくらいごう
桜井郷
さくらいごう
桜井郷
さくらいごう
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報